熱海の坂道

STREET IN ATAMI CITY, SHIZUOKA PREFECTURE

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

昭和28年(1953年)に公開された、小津安二郎監督映画「東京物語」の中で、老夫婦の熱海旅行が印象深い。

広島の尾道から孫の顔を見るために上京した老夫婦は、仕事や家事が忙しい息子たちから、熱海旅行をプレゼントされる。

老夫婦は熱海に来たものの、団体客の騒音で安眠できずに、予定より早く東京に帰るが、息子たちから冷遇され、広島に帰っていく。

歳月の流れをたどるため、映画の公開から60年後の熱海を訪ねた。

熱海駅のある山の上から海岸に向けて坂道を下る。商店街が近づくと、昔の映画の題字のような看板が斜面に重なり、独特の風情がある。

サンビーチ SUN BEACH

映画の中で、老紳士を演じる笠智衆が、海岸通りの防波堤に座り、東山千栄子演じる夫人にむかって「東京も見たし、熱海も見たし、もう帰るか」と語りかける画面の背景には、サンビーチ側の岬が映っている。現在のサンビーチは南国リゾートを感じさせる演出が随所に見られる。

ジャカランダ

葉の形が珍しい木は、平成2年(1990年)に熱海市とポルトガルのカスカイス市との国際姉妹都市を提携した記念に植樹されたジャカランダなる植物だそうだ。

お宮の松 A PINE TREE OF OMIYA

熱海を一躍有名にした、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」ゆかりの記念碑も多数設置されている。

明治30年(1897年)に読売新聞に小説が連載された当初、尾崎紅葉がモデルにした海岸通りの松の木は小さなものであったが、小説が一大ブームとなり、観光客が押し寄せるようになると、町の有力者たちは観光資源のためにと、松の木の新調に積極的な投資をする。松の木はいつしか「お宮の松」と命名され、代替わりと移転をくり返しながら現代にいたる。

貫一・お宮の像 STATUS OF KANICHI AND OMIYA

昭和61年(1986年)になると、お宮の松の隣に「金色夜叉」の一場面を再現する、等身大のブロンズ像も建てられた。

ブロンズ像を撮影していると、20歳代の男女が笑顔で近づいてきて「あのー、コレの前で同じポーズをするので写真を撮ってくれますか」とアイフォンを差し出す。一枚撮影してアイフォンを返すと、二人は写真を見て笑い転げながら海岸通りに消えていった。

渚親水公園 ムーンテラス NAGISA SHINSUI PARK MOON TERRACE

映画の中で東山千栄子が「そうですなア、帰りますか」と笠智衆に答える画面の背景にはムーンテラス側の岬が映っている。画面に映る岬は自然に近い景観だったが、現在は山の上にお城が建ち、海岸にはヨットハーバーと遊園地ができ、浜には波形テラスが設置され、国際色と娯楽性豊かな内容になっている。

熱海銀座通り ATAMI GINZA STREET IN 1940

熱海銀座通りのアーケードの柱には、往時をしのぶ写真が貼ってある。

熱海銀座通り ATAMI GINZA STREET ABOUT 1950〜60

こちらの写真は戦後からようやく復興して高度成長時代に向かう頃のものであろうか、モダンな街灯に往時のにぎわいが感じられる。

寿司忠 SUSHI RESTAURANT “SUSHI-CHU”

夕食は熱海銀座にある老舗の寿司忠へ。小じんまりした店内のカウンターで、まずは、さざえのつぼ焼きでビールを一杯。

さざえのつぼ焼き

食べ終わったさざえの皿を女将さんに下げてもらおうとしたら、「あら、まだ殻の奥に身が少し残ってますわよ」と言われ、楊枝で奥の身を引き出して口に入れる。この最後の一口が強烈に苦く、旨い。

地魚寿司盛り合わせ

いかにも熱海らしさが感じられるメニュー。この日は、左上から、あじ、いわし、めだい、かます、左下から、まだい、金目だい、かんぱち、ひらめ。

中とろ

地元名産のわさびは、握るたびにおろして添えられる。

自家製からすみ

軽く炙った自家製のからすみは香ばしく、粘性のある食感で塩辛さが持続する。

からすみは味わい深く、なかなか減らないので、つい酒がすすむ。

穴子

ふっくらとやわらかい穴子は、一匹まるごと2貫に盛られて出て来る。辛党としては、たっぷりした濃いタレがうれしい。

店主は基本的ことを寡黙にこなし、愛想のいい女将さんと娘が配膳をする。昔はどの町にも、このような風情の寿司屋や割烹があり、テレビのホームドラマでも同様の設定がよく見られた。

そういえば、店内には熱海に在住する脚本家の橋田壽賀子が同店のために「渡る世間に鬼はなし」と毛筆でしたためた色紙が飾られている。

海岸やメインストリートの施設のようなモダンさはないが、老舗の伝統技を地道に継承して、地元の人々や観光客に愛用されていることが感じられた。

寿司忠を出ると、初夏の長い夕闇が、ようやく暗くなりはじめていた。海岸から熱海駅のある山の上まで、夜の商店街を見物しながら坂道を昇った。

商店街は週末にもかかわらず、人影はまばらで、団体客の騒音もなく、深夜のような静けさであった。60年の歳月の間に、レジャーの種類は多様化して、観光地のにぎわいにも変化が見られる。映画の中の老夫婦は、現代の熱海なら、安眠できるであろう。