富士屋ホテルの宿帳

REGISTER BOOK OF HAKONE FUJIYA HOTEL ESTABLISHED 1878

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

箱根の富士屋ホテルは終戦直後からアメリカ軍に接収された。9年の歳月の後に解放され、一般営業を再開した。その時の感激と新たな気持ちを忘れないために、館内の一角には当時のポスターが掲げてある。

富士屋ホテルの歴史は1878年(明治11年)、創業者山口仙之助が20歳で3年間渡米した後に入った慶応義塾で、福沢諭吉から文明開化の新しい時代には国際観光が重要になると説かれ、すでに牧畜起業用に購入していた牛7頭を売却した資金をもとでに、外国人向けのホテルを開業することを決意したことにはじまる。

この時の福沢は、開国後の日本に来日する外国人の多くは、暑い夏を避暑地で過ごすことを望んでいたが、受け入れ先が少なかった背景と、山口の性格が学問より実業界に向いていることを読んでいた。

山口はまず、持ち前の行動力で塔の沢から宮の下まで、カゴか徒歩でしか進めなかった山道に、馬車が往来できる道路を開通させることに尽力した。ホテルの館内は、訪れる外国人に日本を感じてもらおうと、洋の調度の上に和の装飾を施した。こうした努力の積み重ねが海外で評判になり、次第に顧客を増やしていった。

フロントにあるダルマの水墨画
至る所にある彫刻
紳士洗面所

純粋な和の芸術のほかに、紳士洗面所にはタイルで江戸小紋と箱根の寄せ木細工を再現した和洋折衷のインテリアデザインも見られる。

宿帳

目に見える部分のほかに、接客サービスの配慮も見逃せない。なかでも宿帳は、開業から数年分は火事で焼失したが、1885年(明治18年)から現在までの分は大切に保管されている。ホテルが顧客管理に利用することははもちろんだが、日本のリゾート文化史にとっても貴重な資料であり、箱根町の重要文化財に指定されている。宿帳に記帳した顧客リストの一部を資料とともに紹介する。

アルバート陛下 1922年(大正11年)

いかにも柔らかそうなコートを着て、富士山を見ながら飲み口がよさそうなグラスでビールを飲むのは英国のアルバート陛下である。この後、兄の国王エドワード8世が突然退位してウインザー公となったので、ジョージ6世として国王に即位する。その娘は今年のロンドン五輪開会式で、ヘリコプターから飛び降りて世界中をあっと驚かせたエリザベス女王である。

クリスマスカード 1918年(大正7年)
昭和天皇が皇太子時代に使用したゴルフクラブ 1922年(大正11年)
チャップリンのサイン 1932年(昭和7年)

チャップリンは名作「街の灯」を完成させた直後の1932年(昭和7年)5月14日に初来日した。翌5月15日、チャップリンは気まぐれから犬養毅首相との会合をキャンセルして相撲見物に出かけた。夕方、首相官邸に一人でいた犬養毅首相は武装した青年将校に襲撃され、銃殺されてしまう。政治不信から国家改革を目指して決起した青年将校を中心とする同時多発テロは5.15事件とよばれた。将校たちは、チャップリンは堕落した資本主義の象徴で、犬養首相と一緒に暗殺するために、二人が会合する日を決行日にしたといわれている。事件後、気を取り直したチャップリンは富士屋ホテルに宿泊して富士山のイラスト入りサインを残した。

タイプライター 1945年(昭和20年)
三島由紀夫夫妻の写真 1958年(昭和33年)

日本が高度成長に向かい、東京タワーが開業した年に、三島由紀夫は全国各地の伝統的な温泉地をめぐる新婚旅行の途上で富士屋ホテルに宿泊した。

タイプライター 1955〜1965年(昭和30〜40年代)
ツイギーのサイン 1967年(昭和42年10月)

新聞の切り抜きは、1980年代に1960年代のミニスカートブームを回顧した特集記事である。そこに小さく掲載されたツイギー来日時の写真を見逃さず、切り抜いて来館時のサインとともに保管しているところに顧客目線を感じる。

淡島千景のサイン 1967年(昭和42年8月)

昭和の大女優はサインも達者な毛筆であった。今年亡くなったことから、哀悼の意を込めて展示してある。

ジョン・レノンのサインと写真 1978年(昭和58年)

今年のロンドン五輪閉会式にビデオで登場したジョン・レノンは1975年、35歳で小野洋子との間に一児を授かり、音楽活動を休止して約4年間の育児休暇を取る。息子に母方の故郷も知ってもらおうと、毎年のように日本を訪れ数ヶ月間滞在した。日本語の勉強をして、描いた水墨画には「如雲玲音」の朱印をおしていた。このサインを残した2年後、ニューヨークで凶弾に倒れる。享年40歳。

本館入り口

ジョン・レノンの写真に映る白い鳳凰のある本館は、1891年(明治24年)に建てられ、現在もそのまま使用されている。

料理長のメニューレシピノート

宿帳のほかにも、かつての料理長のノートが来客を支える関係者の努力を知る資料として興味深い。いかにも日本人らしい勤勉で几帳面な性格を感じる。真面目に描いたイラストは、なぜか素朴でかわいらしい味がある。

料理長のメニューレシピノート
往時のホテルステッカー