CINEMA TALK BAR : OIZUMI, TOKYO
エッセイ 登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真・文/織田城司 Photo & Text by George Oda
スタイリスト登地勝志さんの連載エッセイ『酒場シネトーク』。
今回は東映の東京撮影所とアニメーションスタジオがある大泉学園を訪ね、高倉健さんの面影をめぐりました。
1. アニメとアクションの聖地
アニメで町おこし
◆大泉学園駅構内
戦後間もない1951年、復興する日本に娯楽をもたらそうと、東映の撮影所が設立された大泉学園。それ以来、多くの作品を生みだし、関係者が集まる映画の都として栄えました。
ひさしぶりに訪ねると、駅前は再開発で様変わりして、あちこちでアニメを使った町おこしが行われ、その迫力に驚きました。
◆大泉学園駅北口「大泉アニメゲート」
「大泉アニメゲート」は2015年、大泉学園駅北口の遊歩道に、「アニメ・イチバンのまち」練馬を象徴する新名所としてオープンしました。
アニメと練馬区の関わりを様々な展示物で表現しています。
◆東映アニメーションミュージアム
「東映アニメーションミュージアム」は東映アニメーション(株)大泉スタジオの敷地内に2018年にオープンしました。
アニメに親しむ場として、アニメの制作プロセスを紹介する資料の展示や等身大のキャラクター像が並ぶフォトスポット、キャラクターグッズを販売するミュージアムショップなどがあります。
アウトローを地でいくアクション映画
◆大泉学園駅北口「大泉アニメゲート」グラフィックウォール
すっかりアニメに押された感がある東映名物アクション映画。しかし、ファンとしては、目ざとく見どころを探します。
大泉アニメゲートのグラフィックウォールのひとつ、「WAY」というタイトルがついた1950年の田舎道の写真に注目です。
東映撮影所ができた頃、周りは田園風景が広がっていたことを知る資料です。ここで黒澤明監督の『野良犬』(1949年)のロケが行われました。雑木林で刑事と犯人が決闘する場面です。
当時、東宝は労働争議で撮影所が使えず、黒澤明監督は他社の撮影所を渡り歩いて本作を完成させました。大泉の撮影所もそのひとつで、まだ東映ができる前の会社が運営していた時代です。
決闘の場面は撮影所裏の雑木林をロケに使い、当時の大泉を捉えた貴重な映像になっています。
◆東映実写映画ポスターコラージュ
壁面の中に、東映東京撮影所が製作した実写映画のポスターコラージュが2面あります。アニメに比べると狭いスペースで、ファンとして残念ですが、これも時代の流れなのでしょう。
1960年代、お茶の間でテレビのスイッチを入れたお母さんは、子供といっしょに東映のアニメを観ることはあっても、任侠映画を観ることはありませんでした。
そこで、任侠映画が観たいお父さんは、ひとりで映画館に行きました。館内の熱狂に「孤独なのは俺だけじゃない」と思いながら、組織に立ち向かう高倉健さんに自分ができない夢を託しました。任侠映画もそれなりに役に立ったのです。
アニメの原作、マンガは昔から世間の評価が高かったわけではありません。1970年代、長髪のサラリーマンが通勤電車の中でマンガ雑誌を読む姿は、凋落した日本人の象徴のように言われたこともありました。
それから半世紀後の令和元年5月、ロンドンの大英博物館で、大規模なマンガの企画展が開催されました。世界的な芸術として評価されたのです。
海外でいち早く芸術性が注目された浮世絵も、もとは江戸庶民の雑誌でした。日本人は大衆文化を芸術の域に高める力を持っています。
しかし、東映のアクション映画は娯楽に徹するあまり、芸術とは無縁でした。でも、映画そのものがアウトローになりきるところが良いのです。大英博物館に展示されることは、間違ってもあってはならないのです。そんな名作の数々を、ポスターコラージュの中から選びました。
『網走番外地』は高倉健さんの大ヒットシリーズです。コラージュの中にたくさん見ることができます。特にこの2作はクライマックスのお決まりのスタイル「トレンチコートの肩掛け」をポスターのメインに使ったもので、ファンにとっては嬉しいレイアウトです。
高倉健さんをマニアックに見るポスターを2作。『多羅尾伴内 十三の魔王』のポスターには、高倉健の名前は出ているが顔写真がない珍しいものです。『電光空手打ち』は記念すべき高倉健さんのデビュー作です。高倉健の名前の下に小さく(新人)という補足が記されているところが貴重です。
鶴田浩二さんは東映で時代劇を撮影するときは京都撮影所を使い、「黒背広もの」といわれる都会のギャング物を撮影するときは東京撮影所を使いました。ポスターコラージュは東京撮影所の編集らしく、ギャング物を多く取り上げています。
『怪談片目の男』は西村晃さんが主演したホラー映画です。子供のころ、予告編を見ただけで怖くなり、夜眠れませんでした。月光仮面はテレビの人気シリーズの劇場版です。どちらも地味な作品ですが、東映の懐の深さを表す作品として、駅前のモニュメントにエントリーした心意気に感動します。
『ジャコ萬と鉄』は東宝作品の東映再映版で、脚本は黒澤明が手がけたものです。『新幹線大爆破』はヨーロッパで一番売れた東映映画です。どちらもクオリティーが高く、見ごたえのある作品です。
2. 撮影所日誌
ショーケンと選んだ衣装
平成の最後に、歌手や俳優として活躍された萩原健一さんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。かつて東映の映画に出演されたとき、一緒に衣装を選んだ思い出があります。
映画は『誘拐報道』(1982年)でした。萩原健一さんは金持ちの子供を誘拐して身代金を要求する犯人役で主演しました。
当時私は原宿にある「BEAMS F」のスタッフとして販売を担当していたところ、萩原健一さんがひとりでフラリと来店され、接客しました。シャツと靴をお買い上げいただき、シャツは『誘拐報道』の中で着用されました。
萩原健一さんが映画の中で着たシャツは、イタリア製のネイビーのシャンブレーシャツです。当時のトレンド、アルマーニ調を取り入れたソフトな襟の仕様でした。
無骨で男っぽいミリタリーやワークの要素に、ミラノのコンテンポラリーなテイストを取り入れた服を着こなし、クールな印象を漂わせながら、犯人の不気味さと不安を演出していました。
実写は衣装も見どころ
小林稔侍さんの衣装を手がけたこともあります。1995年にテレビCMに出演されたときのものです。東映東京撮影所の控室に呼ばれ、衣装合わせをしました。小林稔侍さんは、たまたま別の撮影でそこに詰めていたためです。
俳優さんの衣装合わせは試着があるため、喫茶店で行うわけにはいきません。その点、撮影所の控室は一般客から隔離され、大きな鏡もあるから好都合です。出番の待ち時間を利用して、打ち合わせに使う俳優さんはたくさんいます。
西田敏行さんや松平健さんの衣装合わせをしたのも大泉の控室です。2013年に公開されたコメディ映画『あさひるばん』で着用する衣装でした。
実写映画はアニメとちがい、実物の衣装を揃えなければなりません。それだけに、リアリティーや迫力があるのはもちろん、監督や俳優のこだわりが出ていて見どころです。実写映画を観るときは、ぜひ衣装もお楽しみください。
3. 健さんの面影を歩く
聖地で味わう映画
◆シネコン「T・ジョイSEIBU大泉」
東映東京撮影所に連接する大型複合商業施設「オズスタジオシティ」の中に、シネコン「T・ジョイSEIBU大泉」があります。ロビーのギャラリーには東映東京撮影所ゆかりの資料が展示されています。
昔の撮影所の写真を見ると、映画ブームが去っても、撮影所の土地を切り打ちしながら文化を継承してきたことがわかります。
そんな展示を見ながら観る映画は牧場で飲む牛乳のように、濃い体験をもたらすでしょう。
◆ショッピングモール「リヴィンOZ大泉」
「オズスタジオシティ」と東映通りを挟んだ向かいにある「リヴィンOZ大泉」は東映東京撮影所のオープンセットの跡地に建てられたショッピングモールです。
高倉健さんの『網走番外地』シリーズは、毎回北海道まで行って刑務所の外観を撮影するのは困難で、ここに刑務所の外観を再現して撮影に使いました。
高倉健さんが生涯で出演した映画は205本。そのうち136本が東映東京撮影所で撮影されたものです。その偉業を感じると、商業施設もちがう印象で見えてきます。
幻のピー丼を探して
高倉健さんは大泉の撮影所にいるとき、よく近所の中華料理屋から出前をとっていたそうです。関係者によるとメニューはチャーハンやピー丼を好んだそうです。
ピー丼とは、豚肉やピーマンなどの細切りを炒めた「チンジャオロース」を丼飯の上にのせたものの略称です。チャーハンとの共通点は具材が小さく、ガツガツ食べられることです。
撮影所にいるときは運動量が多く、食事時は早くお腹を満たしたかったのでしょう。なりふり構わず食らいつくところに男っぽさを感じます。
これが天丼やうな重だと具材が大きく、箸で切り分けるアクションが加わり、食べるリズムがワンテンポ遅れます。
そんなことを考えていたらピー丼が食べたくなり、高倉健さんが出前をとっていた「中華料理 明明」を訪ねました。ところが、すでに廃業して跡形も無くなっていました。
途方に暮れていると、「春来」という中華料理屋が健在ということを知りました。ピー丼があるかわかりませんが、チンジャオロースの定食があれば、ご飯の上にのせて「ピー丼の疑似体験ができるのでは…」と思い、入店しました。
店内のキッチンには黙々と料理をつくる主人と愛想の良い婦人。それを囲むL字型のカウンターに席が10席ほど。壁には画鋲で固定された黄色い紙の短冊型メニュー。小さな画面のテレビのチャンネルはNHKでボリュームは控えめ。町中華に望ましいたたずまいがあり、至福を感じます。
首からIDカードホルダーを下げた撮影所のスタッフらしき人たちは黙々と食べ、炒め物をつくる中華鍋のゴソゴソという音が響きます。リラックス感の中に、ほのかな緊張が漂う、仕事人たちの世界です。
メニューを見ると豚肉とピーマンの炒め物定食を見つけ、「これだ!」と思って注文しました。
瓶ビールを注文して定食の出来上がりを待つ間に、もう一度ゆっくりメニューを見ると、注文した定食の正式名称は「ピーマンと豚肉 糸切り炒め定食」でした。
メニューのトップに「豚肉」を使って食欲をそそる店が多いなかで、あえて「ピーマン」を使っています。具材のカッティングは「細切り」ではなく、「糸切り」になっています。ユニークな表記に一味ちがう予感がしました。
出てきた糸切り炒めは確かに具材が細く、2〜3㎜幅です。しかも、豚肉、ピーマン、タケノコがどれも同じ細さです。その効果で口に含むと、どれかが主張しすぎることはなく、渾然一体となり、ひとつの旨味として感じます。
驚くべきはピーマンです。メニューのトップを飾るだけのことはあり、しんなりと柔らかく、苦味はほとんどなく、むしろ甘みさえ感じ、カッティングと加熱の技が光ります。
味付けはさっぱりした印象です。刺激の強い調味料に依存することなく、素材そのものの旨味を引き出し、飽きのこない味わいがあります。
細い具材はご飯にのせても馴染みがよく、スムーズな口あたりです。ピー丼にガツガツ食らいついた、高倉健さんの食べ方の疑似体験を堪能しました。
大泉学園は映画の都らしく、映画を支える人たちの情熱をたくさん感じることができて、心が踊る一日でした。