TRIP TO MOVIE LOCATIONS:BEPPU,OITA PREFECTURE
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
江戸時代の旅は徒歩が主で、目的地に向かう道中の見物を楽しんだ。
明治の文明開化で鉄道が開通すると、旅のスタイルは目的地周辺の遊覧へと変化する。
観光振興で地域の活性化を目指す町は、レジャー施設を随所に作り、乗り物で回遊できるようにした。別府の町も、そのうちのひとつである。
別府駅周辺
別府の町は火山性の立地から多数の温泉が湧き出て、古くから温泉地として栄えた。栄えたといっても、かつての温泉地は病気治療のための場所で、観光とは程遠い地味な存在であった。湯治客は安価な貸し間で自炊をしながら長期滞在していた。
明治に入り、在日外国人の保養を目的に民間の観光事業が本格化すると、温泉地には鉄道がのび、洋式のホテルが建てられるようになった。
戦後の高度成長期をむかえると、経済的にゆとりが出てきて、温泉地への旅行は外国人や富裕層のみではなく、一般大衆へと広がる。
観光客はカラフルに印刷された観光案内を片手に、スタンプラリーのように足早に観光スポットをめぐり、行く先々で記念写真を撮影した。
やがて、温泉地の来客は高度成長時代の団体旅行ブームでピークを迎える。町は団体客を呼び込むために、レジャー施設や大型ホテルを相次いで開業した。
川島雄三監督が手がけた映画『貸間あり』(1959年・昭和34年作)の中に、フランキー堺演じる翻訳家と加藤武演じる大学教授の旧友同士が、日頃の憂さを晴らすために別府の温泉地に出かける場面がある。
温泉旅行はその頃になると、名所や入浴そっちのけで、ストレス発散の宴会目当ての客層も増えつつあった。こうした客層のハシゴ酒に対応するため、宿泊施設のまわりには歓楽街が広がった。映画の場面からは、そんな時代背景が感じられる。
鉄輪(かんなわ)温泉
別府の中心街に隣接する鉄輪(かんなわ)温泉地区は、町の至る所から湯けむりが立ちのぼり、昔ながらの湯治場の風情を今に伝えている。
近年は、都心から失われてしまった昔の風情を求めて路地裏を散策する観光客も見られるようになった。必ずしも名所見物やスポーツを目的としない旅のスタイルも増えつつある。
今村昌平監督が手がけた映画『復讐するは我にあり』(1979年・昭和54年作)は、実際にあった連続殺人事件をもとに制作された。
緒形拳演じる全国指名手配犯の実家は鉄輪(かんなわ)温泉にあった。三國連太郎演じる犯人の父親は、世間体を気にして、経営していた旅館を閉じて、息子が早く捕まることを願う。殺人鬼の家族の複雑な心境を描くサスペンスに、湯けむりの奇観が効果的に使われた。
鉄輪(かんなわ)温泉の名物は、地獄釜とよばれる大きな蒸し器を使った蒸し料理。温泉の噴気を使って瞬時に蒸した地場の旬な食材は、温泉の成分と素材の旨味が凝縮して、ビールや日本酒、ワインなど、どのような酒にも合いそうな素朴な風味がある。
地獄釜に好みの食材を持ち込んで自炊できる施設もある。観光客のみならず、地元の人々も利用する。地元の人々は観光客に「どこから来ましたか。ヘェ、そんなに遠くから」と声をかけ、蒸し器のまわりには昔の長屋の井戸端を思わせる人情味が広がる。
高崎山自然動物園
鉄輪温泉の小さな旅館に泊まり、旅館の女将に「これから紅葉シーズンを迎えると繁盛するのでは」とたずねると「ウチは紅葉に関係なく、今でも満室です」と言われた。日本人の観光客は減ったけれども、インターネットを通じて、世界中から観光客が泊まりに来るという。
客層と旅のスタイルをたずねたところ「ヨーロッパから来られるお客様は、特に名所めぐりをするわけでもなく、鉄輪温泉を散策しながら、町なみに感じる古い日本の情緒を味わっているようです。アジア諸国から来られるお客様は、スマートフォンで検索した観光案内を片手に、観光スポットをスタンプラリーのように足早にまわり、行く先々で記念写真を撮っています」と答えられた。
交通機関の発達で進化をとげてきた別府の温泉地。その景観は大きく変わらないものの、通信機器の発達で、旅のスタイルは変わりつつある。