CINEMA TALK BAR : TAMAZUTSUMI DORI, TOKYO
エッセイ/登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真/織田城司 Photo by George Oda
学校が春休みになると、子供連れで行楽地に行って、春の気配を楽しむ方も多いと思います。今回は多摩堤通りで、遊園地と特撮映画の歴史をひもときながら、先人たちの空想をめぐりました。
二子玉川
変身した特撮ロケ地
二子玉川駅前にあるカマボコ型の土手は、大正末期から昭和初期にかけて、水害を防ぐために作られたものです。
土手は当初、多摩川の近くに作られるはずでしたが、川辺の料亭街から景観を損なうと反対されたため、現在の位置に作られました。
そもそも、この地に料亭街ができたのは、1911年(明治40年)に渋谷駅から発車する玉川電気鉄道が玉川(現在の二子玉川)まで伸びたことによります。当時の二子玉川は都心から川遊びに来る人々の行楽地として栄え、多摩川には屋形船が行き交い、川辺には料亭や旅館が広がりました。
1922年(大正11年)、二子玉川駅前に遊園地が開業して、後の二子玉川園の起源となりました。二子玉川園は1985年(昭和60年)に閉園すると跡地は再開発され、現在は二子玉川ライズという複合商業施設に生まれ変わりました。
昔の二子玉川園の姿は、テレビのウルトラシリーズの中で見ることができます。
円谷プロダクションが制作して1966年(昭和41年)にテレビ放送した『ウルトラQ』は、ウルトラシリーズの元祖になる作品です。その第6話「育てよ!カメ」は、亀を99㎝の大きさに育てると竜宮城に連れて行ってくれると信じている少年の物語です。
少年の飼っていた亀は銀行ギャングに噛みつくと、逃走するギャングとともに移動して、少年と警官隊がこれを追いかけます。この場面のロケに二子玉川園が使われました。多摩堤通りの土手の前でトラックから降りたギャングと少年は、二子玉川園に逃げ込み、乗り物をからめたドタバタ追走劇を繰り広げます。
二子玉川園の映像にはジェットコースターやコーヒーカップの他に、ビックリ歩道という巨大な鉄の筒が回転する乗り物も映ります。
『ウルトラセブン』が1968年(昭和43)に放送した第31話「悪魔の住む花」は、少女の体内に巣食った宇宙細菌が少女の体を操って地球人を攻撃する物語です。
少女が夜の遊園地を徘徊する場面のロケに二子玉川園のメリーゴーランドが使われました。少女を当時15歳だった松坂慶子が演じたことが、後にお宝映像として話題になる作品です。
1960年代の映像に見る二子玉川園からは、のんびりとした郊外の行楽地風情の名残が感じられます。現在この界隈で当時と変わらない姿でたたずむ歴史遺産は、カマボコ型の土手だけになりました。
多摩川駅
大人も楽しめる遊園地の跡
丸子橋から近い多摩川駅の前にも、かつて多摩川園という遊園地がありました。多摩川園は1925年(大正14年)、大浴場を併設した大人も楽しめる遊園地として開業しました。
当時の駅名は多摩川園前で、現在も商店街の看板に昔の駅名を見ることができます。多摩川園は1979年(昭和54年)に閉園すると、跡地の一部は田園調布せせらぎ公園となり、一般に開放されています。
私が滋賀県の彦根から就職のために上京した1978年(昭和53年)当時は、東横線沿線の菊名に住み、外苑前まで通勤していました。通勤途中の東横線の中から多摩川園が見えると、映画『電送人間』(監督/福田純、特撮/円谷英二、1960年・昭和35年作)のことを思い出したものです。
『電送人間』は復讐を企てる男が特殊な人間電送装置を開発して、瞬時に移動しながら計画殺人を繰り返すスリラーです。
最初の殺人が行われる遊園地として多摩川園がロケに使われました。遊園地の背景には、当時緑色だった東急電車が行き交う姿が映ります。
世田谷にあった遊園地が、往年の特撮映画によく出てくるのは、当時円谷プロや東宝映画の撮影所が近くにあったからだと思います。どれも超常現象を引き立てる効果に遊園地を上手く使っていました。
円谷英二が監修した特撮映画を改めて観ると、世界に影響を与えた独創だったことがわかります。日本の映画は、資金力や製作規模ではアメリカ映画に及ばないものの、空想を膨らませることで、新たな価値を生み出していったのです。その姿は戦後の高度成長を切り開いた自動車産業や家電産業の独創とも重なり、日本人が持つ豊かな感性の潜在能力を感じます。
やがて、高度成長が緩やかになると、全国の沿線にあった遊園地は、いつの間にか少なくなりました。
多摩川緑地広場
かつての巨人軍練習場
多摩川駅まで来たので、近くの河川敷で世田谷区と大田区が共同で管理している多摩川緑地広場に立ち寄ります。この広場の一部は、1955年(昭和30年)から1998年(平成10年)まで、読売巨人軍が練習場として借りていた時代がありました。
王さんや長嶋さんが現役時代の巨人軍の人気は絶大なもので、東宝映画は1964年(昭和39年)に『ミスター・ジャイアンツ勝利の旗』(監督/佐伯幸三)という、長嶋選手を中心にした巨人軍のドキュメンタリー映画を作っています。映画の中では多摩川グランドの練習風景も映ります。
そんなことを考えていると、田園調布駅前にある長嶋さん行きつけの焼き鳥屋「鳥鍈」のことを思い出し、帰りに寄りました。
「鳥鍈」の焼き鳥は、こだわった素材の旨みを生かすために、味付けはシンプルな塩で提供されています。
焼き鳥はどれも香ばしくて、味わい深く、いかにも「肉を食べた」という食感があります。それでも、脂が程良く落ちているので、後味はさっぱりして、モタれが少なく感じられます。
「鳥鍈」は田園調布にありながら大衆酒場の雰囲気があり、美味しい焼き鳥を適正価格で提供するので、いつもたくさんのお客さんで賑わっています。こういうお店にフラッと入る長嶋さんの気取らないところも、魅力なのだと思いました。