Trip To Movie Locations : Yoro River, Chiba Prefecture
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
映画のロケ地をめぐる旅の連載コラム『名画周遊』
今回は千葉県中部を流れる養老川の歴史を紐解きながら、人々の暮らしを探訪します。
麻綿原高原 作物の名がついた源流の地
千葉県には高い山が少なく、麻綿原高原も標高300mほどしかない。高原に降り注いだ雨は、やがて湧き水や渓流となって流れ出す。これが千葉県中部を横断しながら東京湾に注ぐ養老川の源流にあたる。
この地は岩盤質で水田が作れなかったので、江戸時代にこの地で暮らした農民は米を年貢として納めることができず、代わりに衣料品の材料になる麻や綿を栽培して納めたことが地名の由来になっている。
養老渓谷 流域一番の景勝地
麻綿原高原から車で10分ほど山を下ると養老渓谷のハイキングコースが広がる。この地で養老川は、滑り台のような岩肌の上で、所々に滝を見せながらゆるやかに流れている。独特の景観から、戦後のレジャーブームで観光地として開発され、今も紅葉シーズンにはハイキング客が多数訪れている。
渓谷を散策した後、街道沿いの食事処では、川魚や麦とろといった、山の幸を使った素朴なメニューが目につく。単品で扱われることの多いアユの塩焼きを定食で提供するお店が数軒あり、割烹「大新」のアユの塩焼き定食は、ご飯と味噌汁、お新香に加え、大根とチクワの煮物、冷や奴の小鉢が付いて、食べごたえがある。
高滝ダム 歳月をかけた治水施設
近代以前の水害予防策といえば、水神様の怒りを鎮める祈祷や奉納が中心であった。戦後の高度成長時代をむかえると、現代的な治水事業が推進され、全国各地でダムの建築ラッシュが起こる。
1990年(平成2年)、養老川流域でも高滝地区にダムが完成して、民家110戸がダム湖の底に沈んだ。そもそも、この地にダムの建設計画が起きたのは1958年(昭和33年)までさかのぼる。当時、ダムの底に水没する地区に指定された住民は、故郷の村が無くなることを不服とし、補償金を積まれても立ち退きを拒否して、建設は遅々として進まなかった。その後も台風の度に水害が起こると、反対運動は徐々に沈静化して、ようやく工事が始まる。
全国のダム建設現場でも、このような葛藤が少なからず見られた。現在、高滝ダムの湖は治水事業のほかに、釣りなどのレジャーを楽しむ人々にも利用されている。
小湊鉄道 水運に代わる輸送手段
水運や馬車に代わる輸送手段として東京を中心に広がった鉄道は、明治末期から大正初期にかけて郊外へと伸びる。
1925年(大正14年)、千葉県でも養老川流域の人々と物資の輸送手段として小湊鉄道が開業した。
現在運行している車両は、1961年から1977年にかけて日本車両で製造されたもので、約50年ほどの年季が入っている。デザインは当時親会社だった京成電鉄の通称「赤電」と呼ばれたモデルを踏襲した。動力はディーゼルエンジンと軽油で自走するため、電線やパンタグラフはなく、丸みのあるデザインをより柔らかい印象にしている。
実際に乗ってみると、エンジンの轟音や振動、蛇行する線路の横揺れが体全体に伝わり、かつて輸送手段が「乗り物」と呼ばれた頃の体感がよみがえる。どの駅舎もほとんど開業当時のままで、この鉄道自体が、50年前にもどるタイムマシンのようだ。
上総牛久 宿場町の名残
養老川の中流にある上総牛久の町は、かつて河岸に大きな積み荷の集積所があり、特産の竹材を扱う商人が行き来して、宿場町として栄えた。今も街道沿いには商店が軒を連ね、往時の雰囲気を今に伝えている。
近年、観光客は旅先で、ガイドブックに紹介されている観光スポットに行って携帯電話で写真を撮り、その場でソーシャルネットワークに投稿する姿が多く見られる。
養老川流域でそんな楽しみ方ができるのは、養老渓谷ぐらいであろう。あとは特に海や山が見えることもなく、殺風景な道中がひたすら続くだけである。
五井海岸 河口の工業地帯
1959年(昭和34年)、千葉県は養老川が東京湾に注ぐ五井海岸一帯に工業地帯の造成計画を発表する。石油精製を中心とする工場が集まり、幹線道路が整備され、トラックが行き交うようになった。
1974年(昭和49年)、この幹線道路沿いでタイヤ修理店を営む夫婦が息子によって殺害される事件が発生した。息子の犯行動機は、千葉の栄町で働く風俗嬢との結婚を両親に反対されたことにあったという。
息子は両親を殺害後、遺体をトラックのホイールに結びつけ、日の出を見計らって五井海岸から遺棄するが、数日後に東京湾から遺体が浮かび、逮捕された。
1976年(昭和51年)、この殺人事件を題材に、長谷川和彦監督が手がけた映画『青春の殺人者』が公開された。撮影は実際に事件が起きた養老川の流域が主なロケ地として使われた。
映画『青春の殺人者』は公開後、時代を象徴する映画として語り継がれた。殺人は困るが、主人公が無軌道にさまよう姿は、高度成長後の喪失感が漂う70年代の若者から多くの共感を得たのである。
画面に映る養老川の流域は、主人公の心理描写に見事な効果となった。殺風景な道中が、心に響く旅もある。