サビルロウ No.3

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

SAVILE ROW No.3, LONDON

ロンドンのリージェント大通りから少し入った場所にあるサビルロウ通りは紳士服の老舗仕立屋が軒を連ね、日本の背広の語源にもなった、服飾史上の聖地である。

このサビルロウ通り3番地にあるビルは別なジャンルで聖地だ。毎日のように世界中から巡礼ツアーの団体客が押し寄せる。そのビルはビートルズが自ら設立した運営会社が1968年から1976年まで入居していたからである。中にはメンバー用の個室や会議室、地下には録音スタジオもあった。

1969年1月30日昼食時、ビートルズは大胆にも、このビルの屋上で予告無しの公開ライブ録音を行った。寒空をついて演奏された名曲「ゲット・バック」をはじめとする数曲は、この時の録音がレコード化された。そのため、ここがビートルズファンにとって聖地でないわけがない。

そんな通りの仕立屋の一件、チェスター・バリー社でビートルズライブの喧騒を覚えているという老採寸師に接客についてインタビューをする機会があった。老採寸師は「素性をよく知らない顧客の紳士を採寸している時に、バカンスはどうするのかと聞かれ、カミさんと旅行にでも、と言うと、紳士は○○ホテルにでも泊まったらどうか、と言うので、我々の身分ではそのような高級ホテルは滅相もございません、と言うと紳士は、君にはいつも世話になっている。僕がそのホテルのオーナーだから無料でどうぞ、と招待してくれた。無論、満喫させてもらったヨ」と語った。何とも粋な話だ。

翌年訪れた時、老採寸師は引退間際で後輩に指導をしていた。老練な話術の引き継ぎについて聞くと老採寸師は「私の口調を後輩に押し付けるつもりは無い。その人なりの自然な言葉で接客すればよいのだ。ただし、若い人の接客トークはちょっとかたいかな。もう少しユーモアがあっても良いよね」と語った。

帰り際にお店のショーウインドウの写真を撮りたいので、割引セール期間と表示した赤い看板をどけても良いかと尋ねると、老採寸師は急に表情を曇らせ、低い声で「それだけはダメだ」と言った。こちらが一瞬「え?」と思った途端に、老採寸師は笑顔になり、赤い看板をどけてくれた。それは彼のユーモアだった。

ユーモアは日本のバラエティー番組に見られるようなドタバタギャグとは異なる。会話や行動の中に滑稽味をスパイスとして忍ばせる奥ゆかしい表現だ。特に英国ではユーモアのセンスで相手の発想の豊かさを評価する文化がある。真面目一辺倒ではスパイスがきいていないスープのように味気なく感じるのであろう。英国諜報部員007はアクションだけではなく、ユーモアもあるから人々を魅了する。夏目漱石や白州次郎といった英国仕込みの紳士たちは、日本古来の笑いの美学と英国ユーモアをうまく融合させて自己表現や作品に生かしていた。

ビートルズの屋上ライブ録音は、騒音と車道にはみ出した野次馬のために警官が踏み込んで中止となった。ジョン・レノンが演奏後、肩からギターを下ろして屋上から引き上げる時に「これでオーディションに受かったかな?」と言って野次馬を笑わせた声もレコードに残された。それもユーモアである。この42分間の演奏は4人が人前で行った最後の演奏として伝説となった。