UMBRELLA OF LONDON
エッセイ/赤峰幸生 Essay by Yukio Akamine
写真/織田城司 Photo by George Oda
梅雨が明け、真夏の太陽が照りだした頃、商用でロンドンに旅立ちました。
ロンドンで商談の合間に街を歩いていると、ウインドウにおびただしい金具を並べるヨット用具店に惹かれ、店内を物色していると、茶色い綿布の帽子が目つき、「散歩や庭仕事にいいな…」と思って購入しました。
その日は朝から暗い雲がたちこめ、梅雨にもどった気分です。案の定、店を出ると雨が降り出したので、買ったばかりの帽子を雨傘の代わりにおろしました。街を行き交う人々も、ほとんど傘をさしていませんでした。この習慣も「相変わらずだな…」と思いながら、初めて渡英した22歳の頃を思い出しました。
何事も最初が印象に残るもので、初めて渡英した時のことはよく憶えています。当時、ロンドンのストリートはビートルズやモッズ族全盛の時代でしたが、私は流行物には興味がなく、英国の伝統的な物に憧れていたので、グリニッジ天文台を観に行きました。
英国紳士が傘をステッキ代わりに使う立ち振る舞いも格好いいと思っていたので、フォックス・アンブレラ社の持ち手と枝がステッキのように一本の木材でできた傘を買って帰ったものです。残念ながらその傘は紛失してしまいましたが、同じ時に買ったネクタイやストールは今でも愛用しています。
あれから、気がつけば半世紀ほどの時が経ち、英国には100回以上行きました。その間、何を見続けてきたのかと思い返してみると、私の場合は「変わらないもの」です。
若い頃から古い物に興味があり、人々の暮らしの中に生きる「クラシック」とは何かを探訪して服作りに生かすことがライフワークになり、無意識のうちに時をこえて生き続けるもの、言い換えれば「変わらないもの」を観察するようになったのです。
いうまでもなく、現代の洋装の原点は英国であり、英国で「変わらないもの」が「クラシック」なのだ、と思うようになりました。
それからというものは、ヨーロッパをラウンドする時は、必ずロンドンから入り、何が変わって、変わらないのかを見極め、時代の基準を把握してから他の国の市場を見るようにしました。
物事が変わったか、変わらないかの判断には時間が関与します。今の物ばかり見ていても変化はわかりません。このため、「温故知新」の精神で、今を知るために、古典にあたるのです。
ロンドンには、古い洋服を展示する博物館や古着屋がたくさんあります。その数は世界一といっていいでしょう。そこで古い洋服にふれながら「このデザインは昔も今もほとんど変わらないから、長い間人々に愛用されてきたんだな」とか「着込んだ味がいいな、どんな素材を使っているのだろう」と思いながら、その服が生まれた時代から現代までの進化を読み解き、今後の発展に想いをめぐらせます。
こうした古典の調査や資料収集は、昔を懐かしがって復刻物を作るためではなく、これからの暮らしに役立つ物づくりの参考にするためです。結果的に、昔から「変わらないもの」をそのまま生かすこともあれば、アレンジすることもあります。
今は閉店して無くなってしまったけれども、「ローレンス・コーナー」という古着屋が好きで、ロンドンに行くと必ず通っていました。私はそこで、ラルフ・ローレンやジョルジョ・アルマーニ本人が黙々と古着を物色する姿を何度も見ました。そのたびに「この人たちも、同じ考えなのだな…」と思ったものです。
古着を扱う場所でも、ポートベロー・マーケットは今でも健在です。相変わらず売れそうもない服をならべる露天商や、美味しくない料理を出すカフェがあり、半世紀前の風情と、ほとんどそのままです。
何でも目まぐるしく変わる現代では貴重な存在で、私にとっては宝の山のようで、いつまで見ていても、飽きることがないのです。