TRIP TO MOVIE LOCATIONS
DOTONBORI,OSAKA
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
道頓堀といえば、近年は食いだおれとよばれるように、飲食店街の印象が強いけれども、もとは劇場の街であった。
江戸の頃より歌舞伎や浄瑠璃など、伝統芸能を披露する劇場が立ち並ぶ地域として栄え、この地に集まる観客目当てに飲食店が発達した。
明治以降は西洋式の娯楽が伝来して、通りには映画館やキャバレー、カフェーが加わり、劇場街は隆盛を極める。
今でも道頓堀通りで、そんな時代の面影を残すのが大阪松竹座である。1923年(大正12年)開業したネオ・ルネッサンス様式の建物は、大阪大空襲で道頓堀界隈が壊滅的な被害を受ける中、奇跡的に焼け残った。レトロモダンな外観は、モボやモガが闊歩した時代の雰囲気を今に伝える。
大阪歴史博物館では劇場街のにぎわいが絶頂期だった1940年(昭和15年)の角座の看板の一部を等身大で再現して展示している。「こうした看板類を見ながら道頓堀のまちを楽しむことを『道ブラ』ともいった」(同博物館解説より)
角座は高度成長時代に上方演芸の殿堂として栄え、世の中がバブル経済に向かう1986年(昭和61年)に複合ビルとして改装オープンするも、2008年に閉館して更地となる。2013年、更地の上に劇場と飲食店を集めた角座広場という商業施設として再スタートする。
道頓堀界隈にたくさんあった劇場もメディアの発達と娯楽の多様化から来客減となり、角座同様に相次いで閉館していった。
全盛時代の角座前を写した絵葉書と同じアングルで角座広場を見ると、大衆娯楽の栄枯盛衰を感じる。
かつて人々の目を楽しませた劇場の看板の役割は、飲食店の巨大看板に引き継がれ、アジア人観光客の団体がカメラに収める姿が多く見られる。
道頓堀通りの裏手にある法善寺界隈は戦後の復興期からほとんど変わらぬ風情でたたずむ。昔ながらの純和風路地の雰囲気は、巨大看板の喧騒が嘘のようである。
大阪生まれの小説家、織田作之助(1913-1947)の小説『夫婦善哉』は大正時代から昭和初期の道頓堀界隈を舞台にした人情話で、1955年(昭和30年)に豊田四郎監督によって映画化され、森繁久彌と淡島千景が夫婦を演じた。
久々に再会した夫婦は法善寺の境内を歩きながら
淡島「なあ、あんた、どないしはんねん。これから」
森繁「え?」
淡島「またバーテンしはるの?」
森繁「そんなん任せるがな。頼りにしてまっせー」
境内には小雪がちらついてくる。
森繁「二人でぬれて行こいな」
淡島「そやな、ええ道行きや」
二人は肩を寄せ合い、小走りで法善寺横丁へと消えていく。
道頓堀通りの巨大看板の谷間でひっそりとたたずむ「たこ梅」は、江戸末期の1844年からおでん一筋で、庶民に愛されてきた名店である。
お店は永年にわたり、おいしいおでんを極めるための創意工夫を蓄積してきたことで、唯一無比の存在感を生み出している。
おでん種の選定から煮込み方はもちろん、ゆるやかなマスタードは馴染みが良く、調理用具や店舗備品の味わいもよい。
おでん鍋を囲む屋台風の間尺を維持していることも希少価値になっている。通りの廃墟ビルや更地を尻目に、「たこ梅」のカウンターは満席で熱気があり、表には空席待ちの行列が絶えない。
かつて織田作之助や池波正太郎、開口健などの文人墨客が小説や随筆に描き記したお店の雰囲気を今も体感できることは、誠にありがたいことである。
道頓堀の名所、戎橋(えびすばし)は数々の映画の背景に使われてきた。
リドリー・スコット監督1989年(平成元年)作『ブラック・レイン』は日米の刑事が大阪を舞台にヤクザを追うサスペンス・アクション。日米の刑事の協力体制は最初はお互いの文化のちがいから上手くいかない。戎橋の上で高倉健演じる日本の刑事がマイケル・ダグラス演じるアメリカから来たジーンズにジャンパー姿の刑事に友好関係をもとめて「俺も君と同じ刑事だ」と話しかけると、マイケル・ダグラスは「お前はただの背広ヤローだ」と答える。
深作欣二監督1982年(昭和57年)作『道頓堀川』は道頓堀界隈を舞台にした賭博ハスラー親子の物語。山崎努演じるハスラー稼業から足を洗って戎橋に近い川端で喫茶店を営むマスターは、雑居ビルの非常階段で泣いているゲイバーのホステスを見て「この道頓堀でにぎやかに暮らしている人間は、皆心の中は寒い風が吹いとんのとちゃうか」と語る。マスターもハスラー時代は生活苦から妻を死なせた苦い経験を持つ。
成瀬巳喜男監督1951年(昭和26年)作『めし』の中で上原謙演じる大阪の証券会社に勤めるサラリーマンは、島崎雪子演じる東京から訪ねてきた姪を大阪見物に連れて行く。上原謙は戎橋の欄干から道頓堀川を眺めながら、「ね、何食べる?」と言って、驚かすつもりで看板に「まむし」と書かれた料理屋に入る。島崎雪子は出てきた丼を見て「なんだ、まむしってうな丼のことなのね。ヘビかと思ってびっくりしちゃった」と笑う。
溝口健二監督1939年(昭和14年)作『残菊物語』の中で花柳章太郎演じる歌舞伎役者の二代目をは身分のちがう森赫子演じる女中と恋仲となり駆け落ちして家を出る。花柳は森の内助の功で数年間旅芸人の一座で芸を磨き、再び本家から認められて大阪で凱旋興行をおこない、夜は道頓堀川で役者を乗せた屋形船がパレードするファンサービスもおこなわれた。
花柳の出世のために身を引く覚悟を決めた森は下宿のおじさんに「道頓堀に行って、様子を見てきてください。そして、私に知らせてください」と頼む。花柳は角座の提灯が並ぶ屋形船の上から道頓堀に集まった大勢のファンの声援にこたえる。
現在の戎橋は記念撮影をする観光客に配慮して円形の欄干となり、ライトアップの演出も加わり、SF映画の背景が似合いそうな雰囲気である。
人情味のあるシーンの背景に使われた時代は、遠い昔になりつつある。