CINEMA TALK BAR : NINJA LEGENDS
エッセイ/登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真/織田城司 Photo by George Oda
海外の映画に影響を与えた日本映画は、たくさんあります。
なかでも、小津や溝口、黒澤といった名監督の作品は、その代表とされています。
あまり知られていませんが、忍者映画も、それにあたるのです。
甲賀の里 忍術村
そもそも、忍者とは、戦場で諜報活動や破壊工作、要人暗殺、火薬の調合などをおこなう特殊技能者です。普段は農民や町民に化けて素性を隠し、戦(いくさ)が始まると領主に雇われて活動する傭兵のような存在でした。
司馬遼太郎は『街道をゆく 甲賀と伊賀のみち』のなかで、忍者のなりわいについて「都に乱があるときは、甲賀・伊賀の次男坊以下が足軽としてやとわれて行ったであろう。そのうち、戦場諜報の技術を身につけ、草や池にひそんだり、放火をしたり、遠く敵地へ潜入して敵情をさぐるという能力もたがいに磨きあったにちがいない。でなければ、これ以上耕地をふやすことのできないこれらの土地で、次男坊以下が食ってゆくことはむずかしかったかと思われる」と述べ、食わんがための流れ者が多かったと推測しています。
滋賀県甲賀市にある「甲賀の里 忍術村」は、かつて忍者が、農道から見えない原生林の中に集落を作って暮らした隠れ里を再現しています。敷地内には、甲賀忍者にゆかりのある古民家の移築展示や、忍術に使われた道具の展示、手裏剣体験、忍者服のレンタルなどがあり、大人から子供まで楽しめる施設です。武器の展示を見ていると、忍者が本当にいたことを実感します。
伊賀流 忍者博物館
三重県伊賀市にある「伊賀流忍者博物館」は、上野市高山から移築した忍者のからくり屋敷や資料の展示、忍者ショーなどがあり、こちらも、大人から子供まで楽しめる施設です。 忍者屋敷にからくりがあるのは、火薬の調合レシピを記した巻物を盗みにくる敵を撃退するためでした。破壊工作といえば、サイバー・テロが主流の現代では、アナログのからくり屋敷は隔世の感があります。
それでも、仕掛けの奇想や木工技術には目をみはるものがあり、外国人観光客は携帯電話で熱心に撮影していました。語学研修のホームステイを手がける友人に聞いた話では、外国人の中学生に「日本で何が見たい?」と、たずねると、「忍者」と答える人が少なくないそうです。
「伊賀流忍者博物館」は1964年に開業しました。当時は忍者ブーム全盛期で、たくさんの映画やテレビドラマが作られていました。こうした作品は欧米に渡り、映画関係者に影響を与えます。 007シリーズの原作を手がけたイアン・フレミングは、1964年に日本を舞台にした『007は二度死ぬ』を発表。日本の秘密警察が忍術の訓練をする場面を挿入して、後に映画化されています。
ハリウッドでも、忍者が現代のニューヨークで活躍するアクション物がコンスタントに作られるようになりました。 欧米では、大男が怪力で敵を倒すアクション物が多かったので、小さな男が敵を倒す忍者物が新鮮に映ったのでしょう。軽やかな身のこなしと想定外の奇策に、東洋の神秘を感じていたのかもしれません。大リーグで活躍するイチロー選手のスーパーキャッチを、現地のアナウンサーが忍者に例えて報道するのも、このような背景があると思われます。
こうした忍者ブームの火付け役になったのは大映映画の『忍びの者』シリーズです。1962年の公開から4年間にわたり8本のシリーズが作られました。忍者の目線から見た戦国絵巻はユニークで、忍術シーンは今観ても古さを感じないスリルと迫力があります。
『忍びの者』シリーズ公開当時は、戦後の高度成長期で、次々と企業が起きて大量生産がはじまり、街はサラリーマンや工員であふれていました。やがて、過酷な労働環境に対する不満から、組合運動が盛んになり、ストライキが多発します。
こうした背景のなか、『忍びの者』シリーズは、アクションに終始することなく、権力争いに巻き込まれる最前線の人々の悲哀を盛り込み、現代に通じるシリアスなドラマに仕立た策が当りました。組織の中で働く人々は、忍者が権力に屈せず、ストイックに目的を達成していく姿にぐいぐいと引っ張られ、自分のことのように見たのです。
やがて、60年代の忍者ブームは『仮面の忍者赤影』や『サスケ』など、子供向けのテレビ番組が登場して一段落します。
彦根城
滋賀県の琵琶湖畔にある彦根城は、忍者映画のロケによく使われました。まわりに高いビルがないので、映す角度によっては、江戸時代の風景を再現することができます。『忍びの者』シリーズでは、第二弾『続・忍びの者』の中で、織田信長と徳川家康が会談する浜松城として映ります。
もちろん、忍者映画だけではなく、時代劇にもたくさん登場します。近年では『武士の一分』で木村拓哉演じる侍が、お堀端を行き交うシーンのロケに使われました。先日、里見浩太朗さんにお会いする機会があり、彦根城についてうかがうと「あそこは、時代劇の撮影で、何度行ったかわからないよ」と、語りました。
あらためて、彦根城の下にたたずむと、荘厳な城壁にしばし圧倒されます。技術を駆使した壁は見事ですが、その壁を登った忍者も、日本人らしい文化なのです。
甲賀や伊賀の忍者パークは、休日になると、親子連れでにぎわいます。更衣室で忍者のレンタル衣装に着替えた子供たちは、歓声をあげて忍者屋敷にむかって走ります。それを見たお母さんは、あわてて「忍者は、大声出さないんだぞー」と、いいながら追いかけます。忍者伝説は、デジタル全盛の現代でも、魅力に感じるのでしょう。
『忍びの者』シリーズの中では、忍者が野宿しながら、焚き火で川魚を炙って食べるシーンがたびたび登場します。忍者は居場所を気づかれると命取りになるので、実際にやったかどうかはわかりません。 それでも、映画の中で忍者が食べる川魚は、なんとも美味そうです。古来から伝わる素朴な味の魅力は、今も衰えることはありません。
塩焼きにしたアユを箸でほぐし、こんがりとやけたウロコや脂がのった身、ワタの苦味、子持ちの甘味などをアテに「冷酒をやるのもいいな…」と思い、彦根駅前の酒場へぶらりと出かけたら、売り切れでした。 アユが豊富にとれる琵琶湖畔でも、旬の季節は出足がはやいのです。無いといわれると、食べたくなるもので、翌日は、開店と同時に滑り込みました。