TRIP TO MOVIE LOCATIONS : SOHO,LONDON
エッセイ・写真/織田城司 Photo & Essay by George Oda
都市の大通りは、どこも似たような景色になりつつある。それでも、一歩裏通りに入ると、まだ味のある風情が残っている。
ロンドンを代表する大通り、リージェント・ストリートから東に広がるソーホー地区は、無数の路地に古めかしいアパートがならび、小さな間口の店が軒をつらねている。ペンキを塗り重ねた表情は、店に集まった人たちの想いや物語を感じさせる。
ソーホーは、古くから庶民の町として栄え、1960年代には、ファッションや音楽関係者のオフィスが集まり、大衆文化の発信地として、世界的に注目されるようになる。
今はロック・レジェンドといわれる人たちも、駆け出しの頃は、皆ここから活動をはじめた。
大通りから裏通りを奥に進むにつれて、スーツを着たビジネスマンや観光客の姿は次第に少なくなり、地元で働く人たちがランチボックスを買いに行くような、気どりのない商店が広がる。
そんな通りを歩いていると、昔ながらのレコード店が目につく。ソーホーはレコード店が集まる町としても知られ、どこの店も来店客が多く、ボックスに差し込まれたレコードを慣れた手つきでめくっていく。マニアにとってレコードはノスタルジーではなく、現在進行形の愛用品なのだ。
ビートルズをはじめ、ブリティッシュ・ロックのミュージシャンたちがレコードジャケットやプロモーション写真の背景に好んで使ったレンガ塀や錆びた鉄格子、落書きだらけの壁が持つイメージは、彼らが作り出すサウンドとよく合った。
今でもソーホーの古い町なみには、そんな表情がいたる所に残っている。レコーディングの合間にちょっと通りに出ても、絵になる背景には事欠かなかったのであろう。音楽の発信に町への愛着と生活感を反映させていたことが垣間見られる。
イタリアの映画監督ミケランジェロ・アントニオーニは1967年、ポップ・カルチャーでにぎわうロンドンを舞台にした映画『欲望』を手がけた。
ファッション・フォトグラファーが公園で撮影した写真に偶然殺人現場が映り込んでいたことから事件に巻き込まれる物語で、フォトグラファーが人を探すために立ち寄るライブハウスの場面は、当時の音楽事情を知る貴重な資料になっている。
このライブハウスのロケに使われたのが、当時ソーホーにあった「マーキー・クラブ」である。映画の中では「リッキー・ティック」という架空の屋号の看板で映る。ホールは地下にあり、客席はダンスフロア形式の立ち見で、100人も入れば一杯になるスペース。観客はテーブルの高さほどのステージに野次馬のように集まっている。
演奏しているバンドはヤードバーズで、ジェフ・ベックとジミー・ページがメンバーにいた頃だ。ジェフ・ベックが音響設備の不具合から怒ってギターを壊し、客席に投げるシーンがある。
「マーキー・クラブ」は1958年にオックスフォード・ストリートで開業する。1962年にはローリング・ストーンズが胎動期から出演して、メンバーを変えながらデビューしている。
その後、クラブは1964年にソーホーの中ほどに移転する。その頃ローリング・ストーンズは売れだしてきて、小さなホールは卒業していたので、代わりにザ・フーやヤードバーズ、デビッド・ボウイなどが定期的に出演する。
ビートルズはすでにワールドツアーに出るほどビックになっていたので、このクラブには出演していないが、1966年にジョンとジョージがラヴィン・スプーンフルのライブを観に訪れている。映画『欲望』の撮影があったのもこの年だ。
60年代後半になると、レッド・ツェッペリンやピンク・フロイド、イエス、キング・クリムゾンなどが出演する。おそらく当時の「マーキー・クラブ」は、ブリティッシュ・ロックの登竜門のような存在だったのであろう。港町や工業地帯から都会に出てきた若者たちは、魂の叫びを糧に、裏通りの小さなホールから巣立っていった。
その後、音楽をめぐる背景は時代とともに姿を変え、「マーキー・クラブ」も1988年にソーホーから移転して、ほどなく閉店したけれども、ソーホーで働く新しい世代は古い物を暮らしの中に活かし、若きロック・レジェンドたちが闊歩した余韻と、庶民の町らしい活気を今に伝えている。
「マーキー・クラブ」跡地にできた飲食店は、土地の由緒にちなんで、窓の下のコンクリートに、かつてクラブに出演したミュージシャンたちの名前を刻んでいる。最後に、その一部を紹介しておこう。