SAKURA PROJECT 2016 MINAMISANRIKU-CHO,MIYAGI PREFECTURE
写真・レポート/織田城司 Photo & Report by George Oda
5年前の東日本大震災で被災した南三陸町で5月8日、復興を支援する社団法人ルーム・ニッポンによる桜植樹祭が行われました。5年の節目を迎えた今回は、桜を寄贈している企業のひとつ、パリの老舗服地メーカー、ドーメル社からドミニク社長が来日して、自ら桜を植えました。
続けること
ゴールデンウイーク早朝の東京駅、東北新幹線を待つ行楽客の合間に、スーツを着たグループが並ぶ。
シークレット・サービスと思いきや、スーツの素材はリネンやモヘヤで、雰囲気がちがう。南三陸町で行われる桜植樹祭に向かう服飾業界人や演奏者たちである。
皆、遠目に相手の存在を確認すると、挨拶をしている。桜植樹祭は今年で5回を数え、参加者同士の交流も見られるようになった。
南三陸町に20年かけて桜を3,000本植えるプロジェクトは、震災の翌年からスタートした。5年間で町内に植えられた桜は、今回植える分を含めて累計890本になり、予定より早く進んでいる。
毎年、桜植樹祭に参加している服飾ディレクターの赤峰幸生氏は、今回の印象を「海岸では大規模な土地のかさ上げ工事が見られ、復興が進んでいることを感じる。同時に、津波の爪痕は見えなくなり、震災の記憶が薄れることも感じた。支援活動への参加が、一過性で風化しないように、気持ちを新たにした」と語り、南三陸さんさん商店街で震災の写真集を購入した。
産業の今
桜植樹祭の記念コンサートで挨拶をした南三陸町名誉町民の高橋長偉氏は「桜植樹祭では、毎年大勢の方々が遠方から駆けつけていただき、町民の前向きな気持を、お作りいただいている」と語りながら、町の近況を報告した。
南三陸町の養殖業者は今年3月、環境に配慮した養殖を後押しをする水産養殖協議会(ASC)の国際認証を取得した。昨年、同町の林業者が取得した、森林管理協議会(FSC)の国際認証と合わせると、同じ自治体が養殖場と森林の2つで国際認証を取得した、世界初のケースとなった。
高橋氏はこの成果について「南三陸町は小さな町だが、豊かな海と山を持つ。今回の成果は、こうした立地を背景に、将来の基幹産業を考えた関係者の努力の賜物で、町民にとっても明るい話題」と語った。
今まで、記念コンサートの挨拶は、桜の寄贈に対するお礼のスピーチが多かったが、今回の報告は、町民の前向きな努力が、徐々に成果となって現れていることを感じた。
この国に生まれて
パリから来日したドーメル社のドミニク社長は、スーツをスマートに着こなしている。手ぶらだが、どこに隠し持っていたのか、サングラスや老眼鏡、名刺入れなどを次々と出す。
フレンチブルーのシャツの袖口はダブルカフスで、細長いシルバーのカフリンクスでとめる。カフス周りは小さめに設定して、手首の丸みをしっかり出しながら、上着の袖口周りもそれに合わせている。遠目にはシックだが、細かいバランスの積み重ねに奥深さがあり、パリの歴史を感じる。
ドミニク社長は、記念コンサートの挨拶の中で「私は、津波という災害から立ち直ろうとする皆様を見て、その力強さは、日本人が古来から持っている文化的なものだと、強く感じました。そして、その意志の強さを尊敬します」と語る。
日本は昔から幾度となく地震や津波、台風に襲われ、今また熊本で、地震による大きな被害が出ている。ドミニク社長が暮らすパリは、天災は少ないものの、大陸続きゆえに、昔から侵略に怯えた歴史があり、昨年は同時多発テロによる大きな被害があった。
災害の事情は、国によって様々だが、向き合って生きることは同じだ。ドミニク社長は「私たちは、過去だけを見るために、今日を生きているのではありません。私たちの生活は、これからもずっと続くのです」と語り、どこの被災地でも「未来を作ろうとする強い意志が大切」と、力説した。
記念コンサートでは、桜の植樹に感謝を込めた演奏が披露された。最後に登場したのは、地元学生のブラスバンド。町の将来を担う若者の力強い演奏に、会場からアンコールの声援が飛んだ。