WRONG APARTMENT IN YACHIYODAI, CHIBA PREFECTURE
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
千葉県北西部、京成電鉄八千代台駅西口の一角に、「住宅団地発祥の地」と刻まれた記念碑がある。
それによると、千葉県住宅協会は原野を開拓して八千代台という新しい町を作り、1955年(昭和30年)に木造平屋建て住宅約1100戸の分譲を開始。これが今日の新興住宅地開発の元祖にあたると解説している。
団地といえば、鉄筋コンクリート箱型の集合住宅を思い浮かべる人がほとんどと思われるが、広辞苑によれば、団地はそもそも住宅・工場などが計画的に集団をなして建っている土地、という意味があり、この記念碑は一戸建て住宅が集まる地域の意味で団地の言葉を使用している。
日本が高度成長に向かう昭和30年代、庶民の生活を支えた住宅事情はどのようなものであったのか。
見学できる保存施設はなく、分譲当初の家屋はほとんど建て替えられてしまったので、実像を検証することは困難だが、わずかに残る面影を求め、町中に点在する木造平屋建て家屋を探索した。
住宅地の合間に、それらしき家屋を数戸見つけることができた。引き戸式の玄関口や低い位置に取り付けられた窓に当時の面影を感じることができたが、人が住んでいる気配はなく、ほとんどが廃屋であった。当時からあると思われる商店街は衰退して、歯抜け状態になっていた。
駅のロータリーから広がるメインストリートは夜になると真っ暗になる。ひときは灯が目立つラーメン屋「パンケ」は脱サラしたマスターが1970年代半ばに開業したお店である。
札幌ラーメンの味を再現する専門店路線は、後に到来するグルメブームやラーメンブームが追い風となり、長続きしている。
人気の味噌ラーメンは、強火で炒めたモヤシや玉ネギの香ばしさと甘みがコクのある味噌スープに溶け込んで、卵の風味と歯ごたえのしっかりした麺と調和する。野菜が豊富で油分が少ないので、重くない後味だ。
最近は会社帰りのサラリーマン客が減り、近隣の高齢者向け介護施設で働く若い女性客が増えているそうだ。中には地方から出稼ぎに来る人も少なくない。かつての新興住宅地の構図はゆっくりと変わりつつある。
住宅地に隣接する一角には、1957年(昭和32年)に建てられた日本住宅公団の鉄筋コンクリート2階建ての団地がある。
駅前にある「住宅団地発祥の地」の記念碑を読んだ住民の誰もが、住宅団地という表記を木造平屋のこととは思わないので、この公団の団地を表現するものと思い込むようになった。
この団地は公団として最古のものではなく、本来の由緒は無いのだが、団地創成期の面影を感じる風情が現存していて、記念碑的な役割を十分はたしている。
パステルカラーの外壁は洋風モダンな雰囲気で、永年塗り重ねられたペンキの味わいに、高度成長時代に向かう人々の憧れと希望が感じられた。