ヘビー・コート

HEAVY COAT

文/赤峰幸生 Essay by Yukio Akamine
写真/織田城司 Photo by George Oda

朝晩の冷え込みが厳しくなり、コートが手放せない季節になりました。

コートの成り立ちや着こなしについては、朝日新聞に連載したコラムで電子図書化された『装い歳時記 男の粋を極める』(朝日新聞出版)や、現在連載中のコラム、
『粋の歳時記』(アエラスタイルマガジン誌/2014年冬号/朝日新聞出版より11月22日発売)と『和魂洋装物語』(ディスカバー・ジャパン誌/2015年1月号/えい出版社より12月6日発売)の最新号に書いたので、お読みになっていただける機会があれば幸いです。

そこでは、コートを一般的な視点でわかりやすく解説したので、このサイトでは、コートに対する私の個人的な想いについて語りましょう。

かねてより、「重たくなければコートではない」が持論です。

これは、あくまでも私のこだわりであって、軽量や快適が主流の今の市場では、万人向けの価値とは言い難いのですが、少しぐらい変わった考えの男がいてもいいでしょう。

そもそも、そのように考えるようになったきっかけは、映画『第三の男』(キャロル・リード監督1949年作イギリス映画)の影響です。

主演のジョセフ・コットンが分厚いウールのコートを着こなす姿は、それまで観ていたアメリカ映画の主人公が、薄手のレインコートを羽織る軽めのスタイルとちがい、ヨーロッパの伝統に裏打ちされたドレスアップと重厚な存在感があって格好良く、衝撃的でした。それ以来、私のコートスタイルの原風景になりました。

分厚いコートに憧れたものの、戦後の高度成長時代の日本市場では、重たくて高価なウールのコートは主流ではなく、種類も限られていました。

1970年代になると、服飾関係の仕事で海外に渡航することが多くなりました。『第三の男』が生まれたイギリスでは、雨が多く、冬は寒いので多種多様のコートがありました。憧れの分厚いウールのコートもたくさんあり、大喜びして古着屋で買いあさりました。いつしか、帰りのヒースロー空港の手荷物検査で、重量オーバーの追加料金を払うことが習慣のようになりました。

1980年代のはじめ頃、渋谷区の自宅から当時の勤め先だった神田のアパレルメーカーまでは、ラッシュで混み合う電車に嫌気がさして、ホンダのスーパーカブで通っていました。冬場はロンドンの古着屋で買った分厚いカシミヤのコートを着てスーパーカブを運転していました。

そんな冬の会社帰り、渋谷の交差点で信号が青に変わったのでスーパーカブを発車させると、1台の車が信号を無視して交差点に突っ込んで来ました。「アッ」と思った次の瞬間、青山の病院のベッドの上で目が覚めました。

「はて、どうしてここにいるのか」と記憶をたどると、車に接触して2、3メートル宙に浮いてからアスファルトの地面にたたきつけられ、横目で見た路面に対向車のタイヤがせまり「もうダメだ」と思った光景が、VTRの逆まわしのようによみがえりました。

すると、そばに立っていた看護師から、「気がつきましたか。たいへんでしたね。
いろいろ検査をしたけれど、どこにも悪くないので、今日はお帰り下さい」と、言われました。

聞くと、スーパーカブと分厚いコートが粉々になって衝突のショックを吸収してくれたのだという。

無傷であることには安堵しましたが、何となく狐につままれたような気がしました。

時計を見ると、夜中の1時半でした。私が「あのー、朝まで寝ていられませんか」と言うと、看護師は無言ながら「病院はホテルではないのですよ」という冷たい視線を投げかけたので我にかえり、やむを得ずタクシーで帰宅しました。

後日、保険の査定で、ロンドンの古着屋で6万円で買った分厚いカシミヤのコートに98万円の値が付きました。それは良かったのですが、保険料支払いの証拠品としてボロボロになったコートを手放さなければならなかったのは、ちょっと残念でした。

今でもロンドンの帰りに、追加料金を払う習慣に変わりはありません。