CINEMA TALK BAR : HIBIYA, TOKYO
エッセイ 登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真・文/織田城司 Photo & Text by George Oda
男の転機
東京で、高倉健さんの気分に浸る場所のひとつに、日比谷があります。
健さんといえば、北国を舞台にした映画が多いけれど、皇居前のオフィス街にも、ゆかりがあるのです。
健さんは1970(昭和45)年に映画『捨て身のならず者』(監督/降旗康男)に出演しました。健さんが演じる一匹狼の特ダネ記者が暴力団と戦うハードボイルド・アクションです。この映画の舞台が日比谷だったのです。
健さんがこの映画を選んだ背景には、イメージチェンジがあったと思います。
それまでの60年代後半は任侠映画全盛期で、健さんの当たり役でした。しかし、どの作品も殴り込みを劇画調で描くシーンが中心で、現実とは程遠いものでした。
観客が陶酔するから映画会社もシリーズ化する。でも、次第にマンネリ化して、演じる健さんも「このままで続けても‥」と思うようになったのです。
このため、現代劇に挑戦して、日比谷という大都会をロケ地に選び、新境地を模索したのです。結局、この時から始めたリアルな男性像の追求は、その後のライフワークとなり、終生続けました。
当時のロケ地で今も残るのは日比谷公園の大噴水です。ここは健さんが暴力団のボスと待ち合わせをする場所として使われました。帝国ホテルを背景に見る位置が、健さんの歩いたルートです。時折、同じ場所を歩いては、男の転機に想いをめぐらせています。
定番を着こなす
『捨て身のならず者』のもうひとつの見どころは、健さんの衣装です。グレーのスーツ、白シャツ、黒のタートルセーター、ステンカラーコートなど、文字で書いてしまえば定番服です。
ところがこの定番服、今見ても古さを感じないのです。浜美枝さんのスタイルや新幹線乗り場に見る大阪万博の装飾に比べると、時代感はほとんどありません。タイムレスな服は有るものだ、と感じます。こういう発見は古い映画を観る醍醐味のひとつです。
健さんは、出演作の衣装をほとんど自分で選んでいました。監督やスタイリストに任せず、自分でスタイルを決め、自ら洋服屋に出向いて注文していました。この時の流行を追わない服選びが、後のタイムレスにつながったのでしょう。
一見、無難な印象の定番服も、よく見ると細部をいじって個性を出しています。カスタムメイドする時に隠し味を加えたのでしょう。グレーのスーツは三つボタン、チェンジポケット付きで、パンツの裾は細めに仕上げています。シャツのカフスは二つボタンです。着こなしもあえてポケットチーフを合わせず、ドレススタイルの中に無骨さを漂わせています。
こうした技は、ハリウッドのスティーブ・マックイーンを参考にしたと思われ、当時公開された映画『ブリット』(1968年作)の影響が強く感じられます。
さて、日比谷公園で健さん気分に浸った後のお食事は、界隈にある老舗の「定番」をめぐりたいと思います。
まずは、レストラン「日比谷松本楼」。1903(明治36)年、日本初の西洋式公園として開業した日比谷公園とともにできたレストランで、夏目漱石など、当時の先端を行く文化人が通ったお店です。
ここではいつも、定番のハイカラビーフカレーを注文しています。スパイスよりも塩気を感じるルーはご飯とよく合い、煮込んだ牛肉の合間から時々出てくる柔らかくて大きな玉ネギの甘味と、たっぷり盛られた福神漬けの酸味がアクセントになっています。
天気がいい日はテラス席が人気です。樹齢を重ねた大木の木漏れ日は都心とは思えない雰囲気で、美味しさを引き立てます。
若者たちへ
お酒を飲む時は、1953(昭和28)年創業のもつ焼き屋「登運とん」。淡白なもつ焼きをタレでいただくのが好みです。
味もさることながら、1907(明治40)年にできたJR山手線の赤レンガ高架下の立地が素晴らしい。関東大震災と東京大空襲に耐えた外観は風格十分。店内の低い天井や狭い通路は、戦後の闇市で復興に励む庶民の疑似体験へと誘います。
お酒を飲みながら健さんに想いをめぐらせていると、自分にも転機があったことを思い出しました。
故郷の滋賀県彦根市の高校を卒業すると、地元の紳士服専門店「VANショップ木野」で働き、5年ほど経った頃に「このまま続けても‥」と思うようになりました。
若いうちに広い世界を見ておきたい、と思ったのでしょう。上京して、1980年から原宿のビームスFで販売員を始めた時、来店された健さんと初めて会いました。
健さんは偉ぶることなく、熱心に服を見ながら、時々服について質問をされました。私のような田舎から出てきた小僧でも、プロとして認めていただいたようで、感激しました。健さんは、形式的なお声がけはしませんでしたが、どこかで人のことをきちんと見ていることがわかりました。
転機は、誰しも不安に感じるものです。そんな時に出会った健さんの対応は、上京を好印象なものにしてくれました。その時の感謝を忘れずに、自分も若者に対応しようと思いました。