酒場シネトーク:門前仲町

CINEMA TALK BAR : MONZEN-NAKACHO, TOKYO

エッセイ 登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真・文/織田城司 Photo & Text by George Oda

失われた場末

近年、昭和を代表する名優が相次いで亡くなりました。

天命とはいえ、新しい作品が観られないと思うと、喪失感があります。

高倉健さんは、昨年3回忌を迎えました。無論、新作は無く、同じ映画のDVDを繰り返し観ては、新たな発見を探しています。

東京駅構内

そんな折、健さんの追悼特別展が東京ステーションギャラリーで開かれ、観に行きました。

展示のメインは、健さんが出演した映画205本を、予告編や名場面のダイジェストで全て見せるものです。

順路を歩くと、壁に設置された年表と映像が年代順に進み、遺作の『あなたへ』(2012年)で出口にたどり着く仕掛けでした。

東京駅構内

初めて健さんのプロフィールにふれた方にもわかりやすく、自分が生きた時代と重ねて見た人もいたと思います。

私のお目当ては、映画であれば『祇園祭』(1968年)という時代劇。これは、上映されてから一度も再映されず、映像ソフトも無く、ファンの間では幻の映画とされていました。今回の展示では、ワンカットだけ映りました。

もうひとつのお目当ては、健さんが身につけた服飾品でしたが、こちらの展示はありませんでした。映画は大勢人々で作るので、自分だけ目立つ展示は、健さんの遺志ではなかったのでしょう。

東京ステーションギャラリーの入り口

改めて全作品を振り返ると、健さんを通して、男の生き方が見えてきます。

最初に映画に出演したのは1956年、東映の『電光空手打ち』という武闘アクションでした。その頃は一作ごとの契約ではなく、東映の専属俳優として月給制で出演していました。いわば、サラリーマンです。当時の東映の主力は時代劇で、健さんが出演していた現代劇は、レコードのB面のような存在でした。

それでも、健さんは駆け出しのサラリーマンとして、会社が企画する現代劇を愚直にこなしました。やがて、中堅社員になり、自分の得意分野が見えてくると、そこに注力します。健さんの場合は、それが任侠物でした。

会期中ミュージアムショップで販売されたポストカード

任侠物は60年代にヒットして、いつの間にか東映の主力になりました。健さんはそれを花道に独立して自分の会社を作ります。その後は、高齢になっても引退することなく、亡くなる直前まで仕事を続けました。

今回の展示で印象に残ったのは、駆け出しの頃の作品です。競合他社に対抗するために量産された青春物やナンセンス・コメディは、お世辞にもA級とは言えず、健さんのイメージとは程遠いものでした。でも、文句を言わず、地道に続けたことが、後の鉱脈につながったと思います。

東京駅前

展示の雰囲気で気になった点は、会場が東京の真ん中にある美術館なので、任侠物を観るには、きれいすぎたことです。

そもそも、任侠物の人気が出たのは場末の映画館でした。安保闘争のデモ行進で警官隊と衝突した若者たちが、オールナイトで任侠物を上映する映画館に入り浸り、やり場のない怒りを発散していました。ストーリーはどうでもよく、ひたすら殴り込みのシーンを観て放心状態になる。映画鑑賞と言うより、体感アトラクションのような空間でした。

本職のヤクザも観に来ていました。サラリーマン客が「鶴田浩二がここで‥」と話していたら、いきなりヤクザに胸をつかまれ、恐喝されると思いきや、「鶴田でなく、鶴田さんと呼べ」と、マナーを教えられたそうです。

東京では、2020年のオリンピックに向けて再開発が急ピッチで進んでいます。その反面、任侠映画が育った場末が少なくなることを寂しく感じました。

丸の内

アサリの味

東京駅の周辺は高層ビルが多く、私の中では、健さんの展示を想いながら飲む雰囲気ではなかったので、東京駅から近い下町、門前仲町に行って飲むことにしました。

ここは古くから大消費地、江戸を前に材木問屋が栄え、勇壮な職人が多く暮らした街です。健さんの映画では『日本侠客伝』のシリーズに登場しました。

このシリーズは、ヤクザ同士の抗争を描くものとちがい、街の老舗商店が新興のヤクザと対決することが軸になっています。

健さんは街の伝統を守るために、ヤクザに立ち向かう老舗の若者を演じていました。

門前仲町の街並み
門前仲町の街並み
門前仲町の街並み
門前仲町の街並み
門前仲町 割烹「六衛門」
「六衛門」の深川丼。ご飯の上にアサリや厚揚げの煮物が乗る。煮汁は甘めの醤油味でツユ沢山。
門前仲町 酒屋「折原商店」

門前仲町の飲食店では、アサリを使った料理のメニューが豊富です。昔は東京湾で魚貝類がたくさんとれたので、独自の調理法が発達して名物になったのでしょう。今でも街角には、佃煮や深川丼など、伝統の味を継承する小さなお店がたくさんあります。

「六衛門」で深川丼をいただいた後、向かいの酒屋「折原商店」の立ち飲みコーナーでコップ酒を飲んでいると、隣の佃煮屋「筑定」の店頭で串焼きを焼くのが目につきました。

門前仲町 佃煮屋「筑定」の店頭でアサリの串焼きを焼いてもらう

醤油の焼ける香りに誘われてメニューを見ると、アサリの串焼きがありました。タレを付けながら焼く、焼き鳥のアサリ版みたいなものです。いかにも門前仲町らしく、1本焼いてもらいました。味はしょっぱさ強め。酒の肴に丁度いい辛さでした。

しばらくすると、小学生ぐらいの小さな男の子と女の子が来て、アサリの串焼きを注文しました。焼きあがると手に1本つづ持って、小躍りしながら雑踏に消えて行きました。土着の味が新しい世代に浸透していることを嬉しく思いました。

東京の片隅に、健さんがいた時代の空気が、かすかに残っていました。

門前仲町 酒屋「折原商店」
門前仲町の街並み
門前仲町の街並み
門前仲町の街並み