酒場シネトーク:彦根

CINEMA TALK BAR : HIKONE,SHIGA PREFECTURE

エッセイ/登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真/織田城司 Photo by George Oda

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琵琶湖
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琵琶湖
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琵琶湖

小学生の頃、水泳の授業は琵琶湖で泳いでいました。

私の母は映画が好きで、琵琶湖に近い彦根の町にある映画館に通っているうちに、そこで働く父と結婚して私を生みました。

父はすでに他界しましたが、母は健在なので、年に何回かは顔を見に帰省しています。

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彦根駅前商店街。右は彦根市役所。
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かつて映画館「大劇」があった彦根市役所向かいの一角。

父が働いていた映画館は「大劇」という名の洋画館でした。当時は夜12時ぐらいまで上映していたので、父は夕食の後に、映画館に出かけることもありました。

また、あるとき、父は家のテーブルで、映画のチラシのレイアウトを切り貼りしていました。昔は、今のように映画会社が用意するカラーのチラシはありませんでしたから、映画館で働く人たちが自主的に印刷物を制作していました。私はこのような家庭で育ったので、物心ついた頃から映画は生活の一部でした。

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やがて、「大劇」は1962年(昭和37年)に閉館します。私が小学校低学年の頃でした。テレビの普及やレジャーの多様化から観客が減ったのです。その後、父は他の映画館のチラシ作りを手伝いながら働きました。

観客が減ったとはいえ、1960年代は良質な映画がたくさん作られていました。1963年(昭和38年)に日活が吉永小百合の主演で、石坂洋次郎の青春小説『青い山脈』を映画化した時は、彦根の町がロケに使われました。

当時17歳だった吉永小百合は、後のインタビューで彦根ロケは修学旅行のようだったと回想しています。古くから城下町として栄えた彦根には、日本の原風景を感じる情緒がありました。

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山間部から琵琶湖に注ぐ芹川。映画『青い山脈』では教師の帰宅シーンで映る。
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彦根市立西中学校。映画『青い山脈』では女子高校として映る。
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滋賀大学経済学部。木造の講堂は1924年(大正13年)の建築。映画『青い山脈』では大学前の道が生徒の登校シーンで映る。
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彦根城。映画『青い山脈』では町の象徴として冒頭に映る。

袋町

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彦根の袋町は、かつての遊郭の跡地で、映画『青い山脈』では南田洋子演じる芸者の居住地として登場します。私の中学校の通学路の裏通りにあたる場所です。

中学時代も学校から帰ると映画館に入り浸っていました。学校の連絡事項を伝えに来たクラスメイトから場内アナウンスで呼び出されることも多々ありました。入り口に出ていくとクラスメイトは「明日の運動会は、紅白のはち巻を忘れないようにって。君の分の伝言は、僕が代わりにまわしといてやるよ」と、いって帰りました。私が映画を見終わってから伝言をまわすと、全員に伝わるのが遅くなると思ったのでしょう。

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花しょうぶ通り

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花しょうぶ通りには、昔ながらの商店街が広がり、近年は町おこしでクローズアップされています。この通りにある布市と記した酒屋の看板には「創業享保二年 井伊家彦根藩御用達」という付記があります。私は高校を卒業すると、この酒屋でアルバイトをしていました。

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銀座商店街

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銀座商店街は、江戸時代から彦根城下一番の繁華街として栄えたメインストリートです。大型店や流行服を扱う専門店が集まっていました。私は学生の頃からこの通りにあるトラッド・ショップによく通っていました。紳士服飾雑誌をかざるアイビーテイストのブランドを集めた店内はいつも魅力にあふれ、憧れたものです。

ある日、トラッド・ショップでなじみの店長と談話をしていると、「酒屋でバイトをするなら、いっそウチで働いたらどうか」と言われ、すぐに働き始めました。1970年代初期のことです。

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平和堂の右隣がトラッド・ショップの跡地。
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トラッド・ショップの店員時代に通った銀座商店街の「ミツワ食堂」。戦後間もなく開業して、一部に改装を加えながら昔の味を継承している。
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「ミツワ食堂」の看板メニュー、中華そば。昔の味を続けるうちに、あっさりした味が貴重な存在になり、固定客から支持されている。

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平和堂の向かいにある「喫茶らんぶる」。ここもトラッドショップの店員時代によく通った。

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1970年代後半になると、アイビーテイストの服はメーカーの倒産などで下火になり、私もそれを機に上京して、原宿のセレクトショップで働くようになりました。

当時のセレクトショップはまだ創成期でしたが、今と同じく、海外の本物といわれる洋品雑貨をいかに日本に提案するかを課題にしていましたから、海外の市場調査ツアーを頻繁におこなっていて、私も何度か同行しました。

ロンドンに行った時は、自由時間に映画館に行って『007リビング・デイライツ』(1987年作)を観て、集合時間に遅刻してしまいました。ニューヨークでは『ダイ・ハード』(1988年作)を観ました。アメリカの観客はブルース・ウイリスが捨て台詞をぼやく場面で拍手喝采するので、日本とちがう雰囲気を感じました。映画館で育ったので、海外に行くと、その土地の映画館の雰囲気が気になるのです。ツアーのメンバーも映画館で異文化に触れることには理解がありました。

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いつの間にか、彦根に5軒あった映画館は、すべて無くなりました。商店街は夜8時を過ぎると暗くなり、シンと静まりかえっています。

この時間から飲み屋を探すのはひと苦労です。駅前にある全国チェーン店では味気がないので、暗闇の中で地元の個人商店を探すと、たどり着いたのは昼間中華そばを食べた「ミツワ食堂」でした。夜は二階でカラオケ付きの飲み屋を開いています。

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店の奥にいる地元の人たちは、カラオケを歌うでもなく、ぼんやりとテレビを見ながら無言で晩酌をしています。ひとりふたり帰ったかとおもうと、すぐに誰もいなくなってしまいました。深夜のように感じますが、まだ8時半です。

映画館やトラッド・ショップの無い夜の闇は、ことさらに、濃く感じられます。それでも、日本の原風景が残る場所に故郷があって、良かったと思います。

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