名画周遊:尾道

TRIP TO MOVIE LOCATIONS
ONOMICHI,HIROSHIMA PREFECTURE

写真・文/織田城司 Photo Essay by George Oda

尾道 住吉神社

小津安二郎監督の「東京物語」(1953年/昭和28年作)は、真夏の尾道のシーンからはじまる。

字幕が終わると中央桟橋前の住吉神社の灯籠を見上げるカットから、街道、民家のカットへと移っていく。昔の白黒映像で、日の当たる部分が真っ白につぶれているけれども、ハイコントラストの世界は、かえって日本の夏の雰囲気が強く感じられて印象深い。

日本人は祖先の霊を家族で迎える伝統行事のために、真夏の旅をくりかえす。小津監督が尾道の撮影をあえてお盆の時期にしたのは、日本人が郷愁を感じる真夏の日ざしを画面に取り入れたかったのであろう。そんな「暑いけれど懐かしい」日ざしを追って、真夏の尾道を訪ねた。

尾道の海岸は対岸の島との距離が近く、大きな川のような海はおだやかで、古くから海運が集積する港町として栄えた。山肌には古寺と住宅が密集して独特の景観を生み出している

山と海岸の間のわずかな平地に商店が軒を連ねる。アーケードにある喫茶店「メキシコ」は、今年創業57年目をむかえる老舗で、朝から地元客でにぎわっている。

カウンターとテーブル数席の狭い店内を婦人店長が一人で切り盛りしている。客が混み合ってくると「このオジさん襲わないから相席にしてあげてね」と言って、年配の婦人が一人で座るテーブル席に案内する。案内された年配の男性は「俺が襲われないかな」と言って座りつつすぐに終戦直後の話題で盛り上がる。男性は「終戦がもう半年遅かったら学徒動員で戦地に行っていただろう。なにせ当時は志願しないと非国民扱いだったからね」と語っていた。

客の目当ての大半は名物「一日中モーニング・サービス」だ。新鮮な野菜と果物が豊富で幅広い層から人気がある。

喫茶「メキシコ」の人気メニュー「一日中モーニングサービス」

街道とアーケードの間には、あみだクジのように小路が広がり、迷路のようだ。日中の人通りは少ないが、カラオケスナックからは歌声が聞こえてくる。

昼食は海沿いの老舗割烹旅館「魚信」で、昼のサービス会席コースをいただく。明治末期の創業で、館内には100年ほど前の古い造りの部分も残されている。

ロビーに額装されている料金表は、1947年(昭和22年)のもので、当時近所にあったGHQ情報部の来店に対応するため英文並記になっている。

湯葉豆腐
オコゼ薄造り
アコウ煮付

焼きウニをのせたタイ
ウニ御飯とオコゼ赤出し
バニラアイス

名物オコゼは唐揚げが有名だが、薄造りもコシがあって噛みごたえのある食感が楽しめる。窓の外は海面が近く、波や船の音が間際で聞こえ、船の上で食事をしているようだ。

給仕をしてくれた女将は「まあ、わざわざ遠くから。お魚料理なら東京や千葉にもありますでしょうに」と謙遜したけれども、海の近くの和室で地魚をいただく、むかしの日本映画に出てくるような風情は、どこでも味わえるものではない。

浄土寺

浄土寺は飛鳥時代に聖徳太子が開創したと伝えられる古いお寺である。映画「東京物語」の中では、家から近い寺の境内で物思いにふける笠智衆を原節子が呼びに来るシーンで使われた。

境内には国宝級の建物が多く見られるけれども、小津監督は菱形の灯籠を背景に使った。観光案内のようなパノラマタイプの映し方をきらった小津監督らしい構図である。

小津監督は季節の日ざしのほかに、日本語の方言の持つやわらかい響きを画面に取り入れることにもこだわっていた。セリフを土地の人に読ませて録音して、俳優と一緒に聞きながら発音を研究する念の入れようであった。この灯籠のわきで笠智衆は原節子にむかって「今日も暑うなるぞ」と語る。

浄土寺多宝塔

境内にある多宝塔は1329年、鎌倉時代に建てられた国宝で境内のシーンでは登場しないが、笠智衆が家の庭掃除をする背景に映っている。老夫婦の家の面影を探しながら、浄土寺から尾道駅まで歩いた。

途中で尾道ラーメンの店「めん処 伝でん」に立ち寄る。白髪の角刈りの年季の入った店主が作るラーメンは背脂が浮く醤油味のスープに、ツルッとした平打ち麺という尾道ラーメンの基本を踏襲しながら、肩の力をぬいたベテランらしく、全体が薄味でまとめられている。

今回立ち寄った喫茶店や旅館、ラーメン屋などはどこも作り手の顔と手仕事のぬくもりがあり、むかしの雰囲気が感じられた。

本サイトでは「東京物語」のロケ地を東京、熱海とめぐってきた。どちらの街も映画の公開から60年の歳月の間に変化をくり返し、映画の面影をとどめていないけれど、尾道には、映画に描かれたような、ゆっくりと時間が流れるような風情がかすかに残っていた。

JR山陽本線 尾道駅

小津監督一行がロケで尾道を訪れた時の模様を報道した新聞によると、原節子を一目見ようと尾道駅に殺到したファンで入場券が三千枚も売れたそうだ。事前にその情報を聞いた一行は手前の駅で降りて旅館に直行するとファンは貸しボートで旅館の前の海に押し寄せた。

小津監督は市の関係者から映画の撮影に協力すると言われると、とにかく野次馬を何とかしてくれと頼んだそうだ。映画人気の絶頂期を思わせるエピソードである。今なら当時よりも落ち着いて撮影できるかもしれない。