TRIP TO MOVIE LOCATIONS
NARAI-JUKU,NAGANO PREFECTURE
写真・文/織田城司 Photo Essay by George Oda
日本の主な街道は江戸時代に整備され、要所には宿場町が栄えた。
明治時代に鉄道が開通すると、大きくなった宿場町もあれば、さびれた宿場町もある。いずれにせよ、江戸時代の面影を残す町は少ない。
小津安二郎監督が戦前のサイレント映画時代に手がけた『浮草物語』(1934年・昭和9年作)は、宿場町を舞台に、旅芸人の人間模様を描く物語である。
画面の背景には、かつて日本のどこにでもあった江戸情緒が残る宿場町が映り、「むかしむかし、あるところに…」という、民話のような雰囲気を醸し出していた。
この映画のロケ地に使われたのが、中山道木曽路の奈良井宿である。
映画の公開から80年後の奈良井宿には、ホテルが建っているのか、それともシャッターを閉ざした商店街があるのか興味がわき、中央線で信州にむかった。
杉並木と二百地蔵 CEDAR TREE AVENUE & TWO HUNDRED JIZO
奈良井宿の近くには、観光地によくある大型観光バスが乗りつける土産物センターの姿はなく、静まりかえっていた。
それどころか、杉並木や地蔵堂、高札場などがあり、今にも三度笠の旅人が現れそうな雰囲気がある。
奈良井宿 NARAI-JUKU
街道から奈良井の宿場町に入ると、道の両脇には年季の入った木造の建物が連なる。建物は旅館や飲食店、土産物屋などで、手仕事の看板に深い味わいがある。
小津監督の映画の画面で見る奈良井宿の町並みには電柱が映っているが、現在は見あたらない。
1968年(昭和43年)、明治100年を機に、古い物を「壊す」風潮に歯止めをかけ、「残す」という新しい価値観が提唱され、全国各地で町並み保存運動がはじまった。
奈良井宿でも衰退と過疎化が進む集落に観光資源をもたらそうと町並み保存運動がはじまり、半世紀近い歳月の間に整備が進み、今では町全体がテーマパークのように江戸時代の宿場町を再現している。
中途半端に近代化が進んでいなかったからこそ、思い切った方向転換ができたのかもしれない。
昔の映画のロケ地を今見ると、近代化で情緒が失われている場所は多いけれども、奈良井宿のように、情緒が残っている場所は珍しい。
本手打そば処 相模屋 SOBA RESTAURANT SAGAMIYA
日本の山村では古くから穀類を使った郷土料理が発達した。なかでも信州はそばの本場として名高い。街道筋に何件も並ぶ手打ちそば屋を見ていると、そばを食べなければならない気分になってくる。
「相模屋」は漆器屋の建物を保存しながらそば屋を営業しているようだ。
そばは細いけれどもコシが強く、濃い醤油味のそばつゆはカツオ風味が豊かに香る。地元特産の鮮やかな器が、本場ならでは味わいを演出する。
そばと一緒に注文した五平餅はごはんを潰して焼いた郷土料理で、味噌だれや胡麻だれなどでいただく。
お供え物を由来とする説もあるが、今は手軽な軽食として利用されている。見た目以上に米の密度がしっかりしていてボリューム感がある。
元櫛問屋 中村邸 NAKAMURA RESIDENCE
中村邸は江戸の終わり頃、1837〜1843年に建てられて塗櫛問屋の建物で、奈良井の民家の中でも最も古い形を残している。この家の保存をめぐる騒動をきっかけに、町並み保存運動が広がったという。
ひさしは板を重ねたもので、縦にはしる桟木は、猿頭とよばれる曲線があしらわれている。この形は奈良井独特の特徴だそうだ。
家屋の前面は板戸を使いながら自由にアレンジが加えられる蔀(しとみ)とよばれる構造で、天候や商売の状況によって臨機応変に対応するための知恵が感じられる。小さな入り口は、寒気が入り込まないための工夫だそうだ。
上問屋史料館 手塚家住宅 TEZUKA RESIDENCE
江戸時代の宿場町には「問屋場」(といやば)とよばれる輸送を請け負う人や馬を手配する場があった。
奈良井宿では手塚家が1602年(慶長年間)から明治維新までおよそ270年間、上問屋という主要な問屋場をつとめた。その後は建物を保存しながら史料館として公開されている。
1880年(明治13年)に明治天皇が奈良井宿を訪れた時は、この手塚家で休憩をとり、昼食にはイワナの塩焼きが献上された。
明治天皇が使用した部屋は、その後、行在所として保存され、障子の張りかえ以外、畳、建具、壁は当時のままだそうだ。
食事処 かなめや CAFE KANAMEYA
大きな葉が印象的な食堂があったので、喫茶のために立ち寄る。マスターによると大きな葉は山ぶどうの葉だそうだ。
マスターはこの地で古民家を生かした飲食店をはじめて30余年になり、昔ながらの宿場町もいいが、日本には優れた木工細工があり、木曽路はその有数の産地で、そのことをもっと知って欲しいと語る。
漆塗りは塗りがはがれても塗り直せば再利用が可能で、ある意味エコロジーなのだという。地元の小学校では幼い頃から木の感触をおぼえさせるために学校で使う家具や食器は、地元の木工細工のものを使っている。こうした活動を「木育」(もくいく)とよんでいるのだそうだ。
話を聞くうちに出てきたコーヒーの器は木工細工でできていた。
御宿 伊勢屋 RYOKAN ISEYA
宿泊でお世話になった「伊勢屋」は、1818年(文政元年)に創業した旅館で、当時の建物をそのまま使っている。
山国では貴重なタンパク源の川魚料理。コイの洗いは酢味噌でいただく。奥はニジマスの唐揚げ
食事は宿泊客十数人が座敷でいただく。夕食は地元の特産物や家庭料理風の総菜が出てくる。
量より質を重視していて、宿泊客は口々に旅館の料理は多すぎるからこれぐらいが丁度いいと語る。
夕食の最後にご飯と味噌汁が出てくる。すると、どこからともなく「おお!味噌汁がうまいぞ!」「ほんとだ!」という歓声がおこり、会話が途切れていた座敷が急ににぎやかになった。
だれかれともなく、宿の人に味噌の由来をきくと、「自家製、赤と白の中間の信州味噌」という答えであった。これでまた、ひとしきり座敷がどよめく。
夕食の味噌汁の具材は豆腐、大根、ジャガイモの3種。朝食の味噌汁の具材は豆腐、玉ネギ、ワカメ、油揚げの4種。
同じ味噌でも具材によって味が変わるから毎食出ても飽きがこない。一度にたくさん作るから旨味も増す。簡単なようだが、家庭で再現するのは困難で、旅先ならではの味わいである。
夕食後、夜の散歩に出ようと思って玄関にむかうと、色あせたポスターが目についた。伊勢屋を背景に撮影した自動車の広告写真で、おそらく20年ほど前のものであろう。当時はちょうどバブル経済が崩壊した時期にあたる。
ディスコやホテルで遊び疲れた男が、息子に「君に、みせたいものがある」といって
連れてきた場所は、昔ながらの宿場町であった。