太宰治の散歩道

ROAD TO OSAMU DAZAI’S HOUSE IN FUNABASHI, CHIBA PREFECTURE

写真・文 Photo & Essay by George Oda

太宰治は1年と数ヶ月の間、千葉県の船橋に一軒家を借りて暮らした時代がある。

1935年(昭和10年)、太宰が小説家として駆け出しの27歳の頃である。当時は執筆に集中するため、借家から近い海辺の旅館「玉川」に宿泊したこともある。

青森県津軽の大地主の家に生まれた太宰が、実家を思い出すと語った「玉川」は今も営業を続けている。

戦火を逃れた建物は、太宰が通った頃の面影を残すが、旅館の前の海は埋め立てられ、高層マンションで囲まれていた。かつて太宰が眺めた船橋の海岸を探しに、埋め立て地を南下した。

工業地帯やゴミ処理場をぬけ、ようやくたどりついた海岸線は、貝を採る人々の対岸に浦安のマンションがせまっていた。

日が暮れてきたので、船橋駅前の焼き鳥屋「鳥一」で一杯。駅前の再開発からとり残された路地に、香ばしい炭火の煙を放つ「鳥一」は、本格的な焼鳥を良心価格で提供することで地元の人々に愛され、開店40年をむかえる。サラッとした甘めのタレはあっさりしていて、散歩帰りの軽い一杯に丁度いい。

ふたたび、船橋の町中で太宰ゆかりの地をめぐる。成田街道の宿場町の面影残る大通りには、商店や神社が立ち並ぶ。この通りにある川奈部書店に立ち寄った太宰は、ツケで何冊かの本を持ち帰ってる。

大通りから住宅地に入った海老川にかかる九重橋は太宰が友人宛に書いた葉書にも登場するゆかりの深い橋で、記念の彫刻が設置されている。旧居跡が近いことを感じながら、さらに住宅地を進む。

途中で道に迷ってしまったので、新聞配達所で太宰の旧居を尋ねると、中から頭にタオルを巻いたジャージ姿の配達人が5、6人出てきた。

最後に出て来た50歳ぐらいの背の高い無精髭の男から、「太宰か。二つ目の路地を右に行った真ん中あたりにある。よく見ないと、見逃すぞ」と言われた。私は、配達人たちに礼を述べ、さっそく現地にむかった。

教えられた場所は、先程から何度も通りすぎている場所で、太宰の旧居を示す石碑と碑文は、民家のガレージの中にあった。

太宰は船橋時代二年目の1936年(昭和11年)7月、処女作『晩年』の出版記念パーティーを上野精養軒で開催する。波乱の人生の中で、比較的穏やかな時代を過ごし、同年11月に荻窪のアパートに転居した。川奈部書店のツケは未払のままであった。