Form of the Jomon period
写真・エッセイ/織田城司 Photo & Essay by George Oda
日本人の文化の原点として注目される縄文時代のモノづくり。
そのデザインの魅力を訪ねました。
1.縄文デザインの背景
◆よみがえる魂をデザイン
1994年夏、青森県議会は、建設を予定していた県営野球場の移転を決めました。
予定地の土を掘ると、巨大な木の柱が6本見つかったからです。
ほかにも、たくさんの住居跡が発掘され、縄文時代最大級の集落であることがわかりました。
このため、三内丸山遺跡として保存することにしました。
出土した柱は根幹の部分で、木材は栗の木、直径は太いところで1mもありました。樹齢は約100年、高さは約20mと推測されています。
現在遺跡に建つ「大型掘立柱建物」は、柱が出土した場所のすぐ隣に建てた推定復元展示です。建築にあたり、20mの栗の木は日本になく、ロシアで15mの栗の木を見つけて輸入しました。
発掘調査を続けるうちに、この地は縄文時代の前期から中期にかけて、言い換えれば、今から約5500年前から4000年前にかけて、約1500年続いた集落であることがわかりました。
遺跡の建物群は、出土した場所とほぼ同じ場所で復元されました。空間や質感をリアルに体感すると、迫力と技術の高さに驚きます。
そのモノづくりを推進したエネルギーの背景として、神話の存在が語られています。
いま現在、日本人のしきたりとして、お正月やお盆など、神話にもとづく年中行事があります。縄文時代にも、いまと別の神話があったと考えられています。
神話の信仰にもとづいた縄文人の宗教的世界観は、モノづくりに大きな影響を与えたと推測されています。岡本太郎は1951年、縄文土器に美を発見すると、「呪術的美学」と評価して、創造の参考にしました。
しかし、縄文時代の神話の内容はわかっていません。というのも、当時はほとんど文字がなく、記録が残っていないからです。
出土品を現代の技術で鑑定すれば、品質はわかります。でも、作者の意図はわかりません。解明のしようがないのです。さまざまな説がありますが、真相は謎のままです。それゆえ歴史ロマンをかきたてるところが魅力です。
縄文人の神話の説のひとつに、再生信仰があります。縄文人の平均寿命は30歳といわれています。当時、医術はほとんどなく、常に死の不安がありました。
このため、人間は死んでも再生する、という神話が信仰されたと推測されています。生命の誕生や再生の象徴が自然界から選ばれ、祈りの対象として崇拝されました。
「大型掘立柱建物」を建てると、柱の間から夏至の日の出と、冬至の日没が見えることがわかりました。
日の出は誕生、日没後の闇は死、闇に登る月は再生のシンボルだったのかもしれません。
こうした背景から、多くの人力とエネルギーを必要とした「大型掘立柱建物」のデザインの背景は、見張り塔という実用面だけでなく、再生を祈願する天体ショーのための塔という推測も展開されています。
2.縄文人の装い
◆祈りのデザインを身につける
縄文時代は、日本人の服飾デザインの原点にあたります。
縄文遺跡から出土した服飾関連のものは、糸、縄、組みひも、編み地、布、アクセサリーなどがあります。繊維の素材は麻が中心でした。縫い針も出土していることから、服の生産もあったとされています。
しかし、服そのものや靴は見つかっていないため、トータルスタイルについては推測で語られています。
アクセサリーは多数出土していることから、お祭りの日は着飾り、ふだんは動きやすくて飾りの少ない着こなしをしたと考えられています。
アクセサリーのデザインは、呪術的な意味や物語が込められ、それを身につけると再生のご利益があると考えられていたようです。
たとえば、光るモノを身につけると太陽や月のエネルギーがえられる。赤い色は血につながり、赤いモノを身につけると新たな生命の誕生や再生にご利益がある、という考えです。
デザインはシンプルで、素材の表情がうまく生かされています。今でも参考になるアイデアもあり、時空を超えるデザインの在り方を考えさせられます。手仕事の質も高く、日本人らしい器用さと丁寧さの素質がすでに見られます。
3.縄文土器の模様
◆優れた抽象デザイン
縄文土器は発見当初、煮炊きをする容器で、文様のデザインは持ち運びのすべり止めと考えられていました。
しかし、それだけでは説明できないことが多く、祈りの儀式に使い、煮炊きにも使われたとする、複合用途説が主流になっています。
お祭りに使う土器は派手なデザインにして、煮炊きに使う土器はシンプルなデザインにして、使い分けていたのかもしれません。
縄文土器の文様は神話をもとに、一定の約束事のなかでのデザインされていました。ひんぱんに登場するモチーフの火、水、渦巻き、縄目などは、それぞれに意味があったものと思われます。
その諸説は割愛するとして、文様のデザインそのものは、自然界の現象を抽象化して構成したものです。躍動、うねり、ゆがみ、リズムなどに優れ、高いレベルだと思います。
今、縄文人から粘土と道具を渡されて、「あなたも、土器を作ってください」と言われても、簡単にできるものではありません。
こうした抽象表現に日本人の表現力の強みがあることを、縄文土器を見て、あらためて感じます。
4.土偶の顔
◆キャラクターデザインの原点
土偶は発見当初、ヒトの人形と考えられていました。しかし、それだけでは説明がつかないことが多く、近年はヒトを表したものではない、という考えが主流になっています。
では、何の像かというと、縄文人の信仰の神と考えられています。いわば、縄文神のフィギュアです。お祭りやお守り、副葬品などに使われたといわれています。
デザインは神聖とされるモチーフがシンボル化され、像として構成されました。そのモチーフのひとつとして、生命の誕生や再生を象徴する女性のディティールがありました。
女性のディティールの比率が高い像は女性像のように見えますが、最初から女性像を作ろうとしたものではないと推測されています。
さて、その土偶の顔のデザインですが、神様だからヒトと同じ顔をつけてはいけない、という暗黙のルールがあったと思われます。
このため、縄文人は神の顔を空想しました。西洋人のように、ヒトの顔を写実的に表現しようとは思いませんでした。いかに現実にない顔を空想するか、ということが課題だったのです。
このプロセスは、ウルトラマンやアニメのキャラクターの創造と同じで、その原点といえるではないでしょうか。
しかし、空想がうまくいかず、ヒトの顔に近くなってしまったものもあります。結果的に、その曖昧さもユーモラスに見えます。
縄文人のかたちを見ていると、創造の背景に「無心」を感じます。おおらかで、のびのびして、飽きない味と個性があり、見ているほうも無心になれます。
高度情報化でモノづくりが同質化する今、注目すべき原点回帰です。