問屋街と焼鳥丼

YAKITORI-DON IN HIGASHI NIHONBASHI, TOKYO

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

歌川広重が江戸末期に手がけた浮世絵シリーズ『名所江戸百景』は、庶民の旅行ガイドやタウン情報誌として親しまれていた。

このシリーズで日本橋大伝馬町を紹介する一枚には、町の顔として木綿問屋が描かれていた。今も日本橋地区の大伝馬町や馬喰町、横山町からなる一帯は、庶民的な衣料品店にむけた繊維製品の問屋街として栄えている。

問屋のほとんどは直接消費者に小売りするのではなく、販売業者向けに量単位で卸すことが多いので、装飾を最低限にしながら在庫の収納にスペースを取る。入出荷をくり返す商品の荷さばきは、時として歩道にはみ出すこともある。

永年、問屋街の人々のために飲食を提供してきた商店が、ビルの谷間に蜃気楼のごとくたたずんでいる。近年はチェーンのファストフード店やコンビニの台頭から廃業が多く、シャッターを下ろしたままの店内で余生をおくる。ほんの数件が「頑張れるまで頑張る」と、営業を続けている。

作務衣を着た髭面の店主が黙々と焼鳥を焼く「よし田」は、問屋街で数十年続く焼鳥屋で、昼定食の焼鳥丼が人気メニューだ。

炭火で焼かれた鶏肉は、苦いコゲ目の中から旨味がにじみだす。焼鳥とごはんの馴染みをよくする刻み海苔の細さ加減に試行錯誤の痕跡が感じられ、タレのしみ具合は絶妙である。一緒にいただくシシトウやキュウリの醤油漬け、ワカメがトロトロになるまで煮込まれた豆腐の味噌汁なども、ひたすら辛口で押しまくる。

目のさめるような辛さは、問屋街の人々の運動量を意識したもので、短い食事時間の印象を少しでも長く残そうと、強めの辛口を好んだ江戸前食文化の現代版である。チェーンのファストフード店やコンビニにはない味わいだ。

人々は平手打ちをくらったかのように、よろめきながら店を出て、午後の荷さばき場へと散っていくのである。