対談/ナイジェル・ケーボン、赤峰幸生 写真・レポート/織田城司
VINTAGE EXPLORER
Discussion by Nigel Cabourn & Yukio Akamine
Photo & Report by George Oda
今世紀に入ると、テレビや映画の物作りは古典的な名作のリメイクが相次ぎ、洋服も、年代物の服を現代に復刻する物作りが注目されている。イギリス人デザイナーのナイジェル・ケーボン氏は、その第一人者として知られている。
初夏の陽気を感じるようになった4月末、商用で来日したナイジェル氏は服飾ディレクター赤峰幸生氏と対談して、物作りを語った。
1986年の出会い
ナイジェル氏と、赤峰氏の出会いは1986年(昭和61年)にさかのぼる。当時、ロンドンで無名のデザイナーだったナイジェル氏は、自分より若いデザイナーが次々とメジャーになる中、自分のブランドの方向が定まらずに悩んでいた。
その頃、イギリスや日本はバブル経済に向かう好景気に沸いていた。東京や大阪の繁華街では、巨大なディスコやカフェバーが次々とオープンして、店内のテレビモニターからはロックの最新ビデオが大音量で流れていた。人気のミュージシャンは、マイケル・ジャクソンやプリンス、マドンナ、カルチャー・クラブ、デュラン・デュランなどで、テレビ映りを意識して、派手なファッションに身を包み、若者たちに影響を与えていた。
ファッションビルの前では、男がブランド服のバーゲンに行列することが社会現象として報道され、近隣のマンションでは、ファッション商品を単サイクルで供給する小さなメーカーが次々と現れ、ハウスマヌカンと呼ばれる販売員の着こなしも注目されていた。
そんな時代に、軍服を復刻しても売れなかった。ナイジェル氏は「80年代は、厳しかった」と回想する。当時、赤峰氏は日本人が手がけるクラシックな洋服のブランド『グレンオーヴァー』を軌道に乗せながら、ミリタリーコートなどのヒット商品を生み出し、少数派ながら、脱ファッション服を好む人たちの手ごたえをつかみ始めていた。
ナイジェル氏は赤峰氏に会った当時のことをこう語る。「あの頃、赤峰さんにブランドの方向性を相談したら、ブリティッシュ・ライフスタイルを大切にしなさいとアドバイスされました。その考えは後で役に立ち、今でも憶えています。結局私は、ブリティッシュ・ライフスタイルの中から軍服や作業服、探検服といった、いつの時代も変わらない服に注目して、自分のコレクションを確立したのですから。今世紀に入ると、日本の雑誌が紹介してくれたこともあり、少しづつ売れるようになりました」
たくさんのお金はいらない
赤峰氏「ナイジェルさんの物作りを一言で言うと?」
ナイジェル氏「特に年代やアイテムは絞っていません。全てがナイジェル・ケーボンのコレクションの対象です。一言で表すのは難しいけれども、強いて言えばロンジェビティ(Longevity:長生き、長寿の意)だね。要するにアンチ・ファッションで、長い間着られて、着込むほどに味が出てくる服を目指しています」
赤峰氏「なるほど。売上や粗利に縛られるアメリカ式のビジネスでは、心がこもった物は作れないよね」
ナイジェル氏「その通りです。私のビジネスはアンチ・コマーシャル。私はピューリスト(Purist:純粋主義者の意)だから、たくさんのお金はいらないのです」
赤峰氏「自分の信じる物を、自分なりに作っていくということだね」
父の日記が宝物
赤峰氏「私は最近、イギリスで1930年代から1940年代にかけて活躍した冒険家のスタイルに興味を持っているけれど、ナイジェルさんは、どんなスタイルが今の気分なの?」
ナイジェル氏「ジャングルだね。私の父はビルマ戦線に従軍して、戦地ではマメに日記を書いていました。私は夏物のコレクションを作る時は、いつも父の日記を読み返しながら、アイデアを膨らませています。
ビルマは熱帯だから軍服とはいえ、暑さをしのぐ工夫がディティールの随所に見られます。素材も通気性を意識して織られた綿やリネン麻が多く使われて、今見ても参考になることが多い。復刻した服は、自然の中で暑さをしのぐことはもちろん、街中でも気軽に着て欲しいですね」
赤峰氏「平和のための軍服だね」
20世紀は、来る21世紀に未来の憧れを託す物作りが多く見られた。だが、実際に21世紀に入ると、宇宙の旅が始まったわけではなく、経済の停滞が続き、テロや天災が頻発した。やがて、戻れない20世紀という過去に憧れを託す物作りが注目されると、ナイジェル・ケーボンの服は、ビルマの竪琴のように響き始めた。