THE TAYLOR OF YOKOHAMA
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
日が短くなった冬の夕暮時、裏通りの古風なビルを見上げた登地勝志氏が「長谷井君のテーラーがあるのはこのビルです」といった。
横浜のホテルニューグランドを訪れた赤峰幸生氏と登地勝志氏と私は、喫茶をしながら誰からともなく、ホテルの近所で「テーラーグランド」なる仕立屋を営む長谷井孝紀氏を訪ねようということになった。
長谷井氏のテーラーが入居するインペリアルビルは、1930年(昭和5年)竣工で現在は横浜市の歴史的建造物に認定されている。
ビルの入り口に飾られているビル開業当時の写真。当時はインペリアル・アパートメントホテルという名称で、外国人の長期滞在用の宿泊施設として開業し、1階にはテーラーが入居していたそうだ。国際色豊かな横浜らしいハイカラさである。
ビル入り口に飾られている1945年(昭和20年)の写真。港をおそった空襲で、あたり一面がれきの山となる中で、かろうじて倒壊を免れたインペリアルビルの様子をとらえている。
戦後は同じく空襲を免れたホテルニューグランドとともに進駐軍に接収された。ニューグランドは上官が利用して、このビルは下士官が利用した。
ニューグランドとこのビルには、外国人向けに水洗トイレがついているという情報をあらかじめ入手していた連合軍が、占領下でも使い勝手かよい建物として、あえて空襲の的から外したという説もあるが、真相は定かではない。
ビルの入り口は、かつてのモダンがレトロとなり、ここだけ時間が止まったかのような雰囲気を醸し出している。
建物に宿る歴史ミステリーや使い古した調度類、謎めいた装飾などは、いかにも男っぽい空間で、探偵事務所や仕立屋がありそうな雰囲気である。万人向けではないが、好きな人にはわかる感覚だ。
「テーラーグランド」のある3階にのぼる階段には、開業当時に流行したアールデコ調の装飾が見られる。
テーラーの内部は大きなハサミのオブジェがある型紙指図の作業場と、着こなしのお手本とする映画スターの装飾が印象的である。
店内ではすでに、テーラーのオーナー長谷井氏(左)と赤峰氏(右)の生地談議がはじまっていた。
二人でひたすらウールの生地を触っては、お互い知らない生地の仕入れ先について、しばし情報交換。
生地感を指先で確かめる行為は、食品売り場で試飲や試食をくりかえして味覚の知識を広げ、好みの味をさぐることと似ている。
赤峰氏は生地を触りながら「抜けるような手触りではなく、芯がある手触りが気に入っている」と語る。
このタイプのチェックは英国ではディストリクト・チェックと呼ばれ、タータンチェックが家紋の役割をすることに対して、地域のチェックという意味になる。赤峰氏は一番手前のバスケット状の柄を手で持ちながら「こういう生地でスーツを作りたいよね」と語る。時代の気分を反映して、ジャケットを作るような厚地素材でスーツを作り、素朴な表情とドレスアップを融合させるアイデアである。
長谷井氏はツイードの生地を見ながら、「ご年配の方は体の筋肉がおとろえて、がっちりした体型が維持できなくなるので、しっかりした素材を選んで構築的に仕立てる方が増えている」と語る。
テーラーに集まって生地を語る人たちの様子は、最初は刑事のガサ入れのような雰囲気であったが、最後は少年たちが空き地の秘密基地に集まって、玩具や漫画本を広げながら、あれがイイとか、これがカッコイイと語ったノリと変わらないように見えた。
長谷井氏は物づくりについて「最初、横浜の職人に仕立のお願いに行ったら、テーラーなら東京でやれば、と言われたけれど、あくまで、横浜にこだわりたかったので、横浜でお店をひらいて横浜の職人に縫ってもらっている。職人の平均年齢は70歳で、60歳だと若手になる。こうした親父ぐらいの歳の人たちに良くしてもらっている」と語った。
壁に飾ってある007映画のLP盤ジャケットなどは、知らない人が見れば、ただの骨董だが、好きな人が見れば「なるほど、イイよね」という世界である。横浜仕立てに対するこだわりも心意気なのだ。物を越えた、作り手の想いが生み出す物語りと空気感が専門店の魅力である。
我々は再びアールデコ調の階段をおりて、テーラーをあとにした。
外の日はすっかり暮れ、マリンタワーに灯がともる。登地氏は「ここのバー、結構いけますよ。今度行きましょう」といった。横浜の裏通りは、昔も今もハイカラであった。