CINEMA TALK BAR : KOMAZAWA, TOKYO
エッセイ/登地勝志 Essay by Katsushi Tochi
写真/織田城司 Photo by George Oda
8月に開催されるリオ五輪に向けて、選手の選考が大詰めをむかえています。今回は駒沢で、東京オリンピックの歴史をひもときながら、文化の背景をめぐりました。
60年代モダン
1964年(昭和39年)、東京でオリンピックが開かれると、駒沢公園は第二会場として、サッカーやレスリング、バレーボール、ホッケーなどの競技が行われました。オリンピックの後も、競技場や公園として利用されています。
1966年(昭和41年)、映画『007は二度死ぬ』の撮影スタッフが来日すると、駒沢公園でロケが行われました。
『007は二度死ぬ』はショーン・コネリー演じる007が、日本に秘密基地を持つ悪の組織に立ち向かう物語で、日本の各地でロケが行われました。
007は悪の組織の車に追われると、若林映子演じる日本の情報機関員が運転するスポーツカーに救われ、2台は派手なカーチェイスを繰り広げます。
このカーチェイスの数カットのひとつに、駒沢公園が映るのです。駒沢公園バス停前に設置したカメラは、駒沢通りを東京方面から疾走してきた2台が歩道橋をくぐり、オリンピック記念塔を背景に見ながら走り抜ける姿を追っています。
この数秒のカットのために、撮影スタッフがこの地を選んだことに興味が湧き、当時の時代背景を紐解きました。
ロケが行われた1966年(昭和41年)、テレビでは『サンダーバード』や『ウルトラマン』の放送がスタートしています。パリのモード界ではカルダンが宇宙服ルックを発表するなど、宇宙への憧れを背景にした物づくりが世界的な傾向でした。
こうした傾向は1969年(昭和44年)のアポロ月面着陸でピークを迎え、1970年(昭和45年)の大阪万博まで続きます。
このため、007の映画作りも時代の傾向を踏まえ、宇宙や未来を連想させるモダンな建物を随所に取り入れました。すべてをセットで作ると膨大な費用がかかるので、東京五輪のために作られたモダンな建物は撮影に好都合だったのです。
19世紀末に産業革命で発達した機械化は20世紀に加速し、戦後は宇宙開発を頂点にした未来への信仰が高度成長を推進します。デザインも、流線型に代表されるように、非装飾的な機能美こそが未来のための造形という考え方が主流でした。
こうしたモダンなデザインの傾向は宇宙開発と同じく1960年代にピークを迎え、曲線や直線によるシンプルな造形、007やウルトラマンのタイトルバックに見られるようなシルエットによるグラフィック、モノトーンのハイコントラストな配色など、あらゆる手法が出揃いました。
駒沢公園では今でも、60年代の人々が未来への夢を託したモダンなデザインを大きなスケールで体感することができます。どこかの扉を開けると、秘密基地につながっていそうなSF的な雰囲気も、あの頃の映画を知る人にとっては魅力です。
平和への祈り
駒沢は古くからスポーツに縁のある地として発展しました。大正時代、外遊でゴルフを覚えた政財界人が東京でもゴルフを楽しもうと、田園地帯に共同出資で建てたゴルフ場が駒沢公園の前身になります。1922年(大正11年)、親善のために来日した英国王太子(後のウインザー公)はここでゴルフを楽しまれ、日本から接待に対応した摂政官時代の昭和天皇が一緒にプレーをしています。
その後、ゴルフ場は1940年(昭和15年)に東京で開催される予定だったオリンピックの会場として整備されるも、戦争のために幻となり、戦後から復興した1964年(昭和39年)に悲願を達成したのです。
これから開かれるリオや東京のオリンピックでも、選手には日頃の練習の成果を十分発揮してもらいたいと思います。それには、平和が不可欠です。オリンピックは過去に、戦争やテロ、ボイコットなど、国際情勢による開催危機によって選手が犠牲になることが多々あったからです。
その前に、開催国の運営上の不手際が次々と露呈するのは、何とも恥ずかしいことです。これを機に、運営体質も進歩してもらいたいと思います。
むかしの味
駒沢公園でオリンピックの進歩を期待しつつも、帰りに立ち寄る酒場には、つい昔の味を求めてしまいます。最近この界隈は、若い主婦層を対象にした小綺麗なお店が増え、オジさんが気軽に立ち寄れるお店は少なくなりました。
その中でも、そば屋の朝日屋は、そばの他に、ご飯物やおつまみのメニューが多く、様々な目的で利用出来るので、近所に住む常連さんたちで賑わっています。
住宅地の路地に突如現れる「かっぱ」の大書き看板。知らない人にとっては何のことかわかりにくいサインですが、1950年(昭和25年)から続く煮込み料理の専門店で、地元では有名な老舗です。
メニューは秘伝の煮込みとご飯がほとんどで、お酒は出していません。絞り込んだメニューでも半世紀以上続くのは、クセになる味が決め手で、リピーターや口コミで需要が継続しています。私も知人から教わって通うようになりました。人類が進歩する一方で、このようなお店が根強く残っていることも、面白いと思います。