STEEL PAVILION EXPO’70 SENRI,OSAKA
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
1970年(昭和45年)に開催された大阪万博に、日本鉄鋼連盟が出展した鉄鋼館は当初から恒久施設として計画され、現在は博覧会の資料保存と展示をする記念館として公開されている。
「人類の進歩と調和」をテーマにした博覧会の展示品からは、未来都市への憧れが感じられ、その視野は宇宙まで広がる。
万博の直前は、「ウルトラマン」や「サンダーバード」、「2001年宇宙の旅」など、宇宙を舞台にした作品がテレビや映画で相次いで公開され、アメリカの宇宙船は実際に月面着陸した時代である。
万博会場には、世界各国が提案する未来都市を、一足早く体験をしようと半年間の会期に、約6,422万人が入場した。その規模は当時の日本の人口の半数を越える。
人々の未来都市への想いは、万博が終わるとすぐに、公害問題やオイルショックで破綻する。やがて、人間不在の技術開発は衰退して、地球環境との共存が見直されて今日に至る。
大阪万博に見られる未来派デザインは、現在の時流とはかけはなれてしまったが、国家的イベントに取り組んだアーティストたちの自由で前向きなアプローチは、時代を越えたエネルギーが感じられる。
工業製品は人間の作業を電気制御で代行する装置が多く見られた。この時の試作が契機で後に実用化された物は、動く歩道やテレビ電話、電気自動車、電動自転車、ワンタッチ傘、朱肉のいらない印鑑、缶コーヒーなどがある。
万博会場内で開催された公演を告知するポスターのデザインには、当時注目されていたポップアートの影響による転写や貼り絵の技法が見られる
コンパニオンの制服には自然から生まれる天然繊維ではなく、人工で生み出された化学繊維使いが主流であった。
人類は2001年になっても宇宙の旅など無く、自然と調和すべきことを悟って進歩した。鉄鋼館の無機質なコンクリート壁を覆った蔦がそのことを象徴するかのようである。
大阪万博でコンパニオンだった世代は、未来派デザインには見向きもせず、季節の花の下で車座になる。
鉄鋼館を出た後、昼食時になったので、公園の売店で焼きソバを購入する。薄いプラスチックのパックから、焼きソバの重みと温かみが直につたわる。甘めのソースと鰹節が春風に香る。ソバは太めで歯ごたえがあり、「ああ、うまい」と思う。かつての万博会場で生き残ったのは、宇宙食ではなく、焼きソバであった。