夏目漱石 猫の家

HOUSE OF SOUSEKI NATSUME AND HIS CAT IN 1903

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

「夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬」と歌う唱歌『夏の思い出』には、お盆が近づくと郷里への想いがつのる情景が歌われている。

風景に郷愁を感じることと同じく、古い日本家屋にも郷愁を感じる。小津安二郎の映画の世界や、かつて夏目漱石が暮らした家の風情である。

1903年(明治36年)、ロンドン留学から帰国した夏目漱石は千駄木にあった借家に移り住み、名作『吾輩は猫である』を執筆した。生活空間は純和風だが、無名の猫に語らせた夏目漱石自身の想いには、西洋文化への憧れが随所に感じられる。博物館明治村に移築保存されている当時の家の内部を見ながら、小説の一節を引用しよう。

玄関 ENTRANCE
座敷 DRAWING ROOM

猫:「それから約七分位すると注文通り寒山君が来る。今日の晩に演説をするというので例になく立派なフロックを着て、洗濯したての白襟をそびやかして、男ぶりをニ割方上げて、『少し後れまして』と落付き払って挨拶をする」

猫が来客の洋装姿を好印象で語る場面である。男ぶりの要因のひとつとして、ハイカラシャツが描写されている。

書斎の窓 WINDOW OF STUDY ROOM
書斎の窓 WINDOW OF STUDY ROOM
えんがわ VERANDA

猫:「ある日の午後、吾輩は例の如く縁側に出てひるねをして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉を持って来いというと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る」

縁側で寝る猫を見ただけで、随分面白い発想が浮かぶものだ。味わいある縁側には、大きな節がある。夏目漱石が暮らす13年ほど前、この家に暮らした森鴎外も、印象的な節のことは記憶していたことであろう。

次の間 SMALL ROOM
寝室と子供部屋 BED ROOM AND CHILDREN’S ROOM

猫:「衣服はかくの如く人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云う位重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したい位だ」

着るものに対する想いには、名刺がわりに身なりを見られる欧州体験の影響が感じられる。

むかしはどの家にも衣紋掛けがあった。折りたたみ式は狭い家の中でも場所を取らないための工夫だ。着物がかかっているの見た記憶はほとんど無いが、ぶら下がって遊んだ記憶はある。

台所と浴室 KITCHEN AND BATH ROOM

猫:「何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇の然らしむるところであろう。だから今雑煮が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない。何でも食える時に食って置こうという考えから、主人の食いあました雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである」

古今東西共通の食に対する想いをユーモラスに語っている。土間を見学していると、家族連れの父親が幼い子供に「ほら、おじいちゃんの家でこういうの見たろ」と声をかけているのが聞こえた。

くぐり戸 SMALL DOOR

猫:「こう暑くては猫といえども遣り切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだとイギリスのシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、責めてこの淡灰色の斑入の毛衣だけは一寸洗い張りでもするか、もしくは当分のうちは質にでも入れたい様な気がする」

玄関と書斎の間にある小さなくぐり戸は、いかにも猫の出入り口のようだが、冷房の無かった時代に、風通しを良くして部屋を涼しくするためのものだそうだ。

茶の間 LIVING ROOM

むかしの家では、外は暑くても、畳の上に寝転がって、開け放した窓から入る心地よい風にあたり、茂みの葉がふれあう音を聞いていると、冷房がなくても涼しく感じられた。

夏目漱石のロンドン留学は一度きりで、再訪することはなかった。小説にちりばめられた英国趣味に、遠い空に対する想いが感じられる。むかしの日本家屋の暮らしも、戻ることができないから郷愁を感じるのであろう。