パリの食堂

RESTAURANT IN PARIS

文/赤峰幸生 Essay by Yukio Akamine
写真/織田城司 Photo by George Oda

パリに憧れ、御茶の水のアテネ・フランセで仏語を学んでいた19歳の頃、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で聴いた『あのサンジェルマン・デ・プレ』は今でも口ずさんでしまいます。これはジュリエット・グレコの『あとには何もない』を日本人歌手が歌った曲でした。

社会人になりたての頃は、「帝国ホテル」や銀座の「ケテル」などで、箸の上げ下げならぬナイフとフォークのさばき方を見よう見まねで学びました。テーブルマナーをぎこちなく実践することで大人の仲間入りをした気分になっていたのでしょう。

やがて、歳を重ねるうちに、裏通りのいい味を出した大衆食堂に惹かれるようになりました。作り手の人間味を間近で感じる素朴な料理の旨味に魅力を感じはじめた頃だと思います。

したがって、パリの街を歩いていても、ガイドブックに出ていないお店を自分の視覚と嗅覚を頼りに探します。「ここは俺好みだな…」というお店に飛び込みで入るのです。

もちろん、失敗もありましたが、それはそれで、自然と五感が鍛えられていくものです。

ラ・グリル・サンジェルマン LA GRILLE SAINT GERMAIN

パリの下町、サンジェルマン・デ・プレ地区の「ラ・グリル・サンジェルマン」は劇場や映画館がある大通りから脇に入った人通りの少ない路地にある小さな食堂です。

散歩をしていると映画スターの写真が目につき、試しに入ってみたら雰囲気と味が良かったので、それ以降よく利用しています。

まあ、とにかく、1階から2階まで壁という壁を埋め尽くした俳優の写真に圧倒されます。額を使った店内装飾をよく見ますが、これほど質の高いお店は珍しいです。

学生時代によく読んだ『映画芸術』に出てくるジャン・ギャバンやアルベール・プレジャン、アナベラ、ルイ・ジューヴェ、フランンソワーズ・ロゼー、ミッシェル・シモン、モーリス・シュバリエ、ダニエル・ダリュー、ジェラール・フィリップ、シャルル・ボワイエなどなど。

俳優をフランス映画の黄金期に絞ることで、時代や写真に統一感が出て、印象をより強いものにしています。それでも、敷居を高くせず、映画という大衆文化の性格を生かした気軽さを残しているので、一人でも飲みに行ける雰囲気があります。

オニオンスープ

メニューはフランスの居酒屋の定番というべき、素朴な料理が中心です。

質のいい食材を使っているので少し火を通しただけでも旨味が凝縮していて飽きのこない味わいです。

ミニッツステーキ
チョコレートケーキ

中華料理 美麗華酒家 CHINESE RESTAURANT MIRAMA

カルチェ・ラタンにある、パリの歴史の中で最も古いサンジャック通り。お店の多いこの通りに溶け込むようにサン・セヴラン教会がありますが、斜め向かいの「ミラマ」にはパリ滞在中は必ず足を向けます。

パリでフランス料理に疲れてきたら、和食を食べたいと思うけれど、中国人が運営する異質な日本料理屋を多く見かけます。そうであれば、中国人が運営する中華料理を食べたほうが美味しく感じられるのです。

王宮調の重厚な店構えの中華料理屋が多いなか、「ミラマ」はシンプルな店構えで、ガラス戸と肉を吊るすウインドウからフランス人客でにぎわう様子が見えるので安心感があります。

ワンタンスープ

常連なのか、フランス人のほとんどが注文している人気メニューはワンタンスープです。ワンタンの中には肉だんごが入り、スープの中には細くて縮れた麺が浮かんで、食べごたえがあります。

私の好みはチャーシュー丼です。お皿に盛られたチャーシューとライスをお椀に取り分け、カツ丼や親子丼をいただく気分で食らいつく味には、なんとも言えず「幸せ」を感じます。

チャーシューとライスの皿盛り

このカフェは、夜遅くパリのホテルに着いて、寝酒を一杯やろうと思って、たまたま開いていたので立ち寄ったお店です。

ミシン台を再利用したテーブルの上に置かれた客用のチェスは日本の縁台将棋を想わせます。

ヴァン・ショー

寝酒のお目当ては、フランス語で熱いワインという意味のヴァン・ショーで、冬の夜のお楽しみです。日本の熱燗を思わせるメニューは、言葉や文化はちがえど、考えることは一緒なのだなと思います。

こうしてパリの食堂を見ていると、繁盛しているお店は、味や店構えに、作り手の情熱が感じられます。それはパリのみならず万国共通で、服屋にも当てはまることなのです。