Trip To Movie Locations : Ishikawa-dai, Tokyo
写真・エッセイ/織田城司 Photo & Essay by George Oda
映画監督・小津安二郎の足跡をたどる旅のエッセイ。今回は映画『秋刀魚の味』のロケ地、東京の石川台を訪ね、戦後のモダニズムの面影をめぐりました。
あこがれの団地生活
◆描かれた団地
1960年代、日本は空前の団地ブームに沸き、入居者の抽選は「宝くじに当たるより難しい」といわれた。
小津安二郎監督はそんな世相を映画『秋刀魚の味』(1962年作)に取り入れた。
佐田啓二と岡田茉莉子が演じる共稼ぎ夫婦の住まいを団地に設定。ロケ地に東京の私鉄沿線、石川台を選んだ。
◆高度成長を支えた住まい
戦後、不況に苦しんだ日本経済は工業生産の活性化で好転し、1955年から高度成時代に入る。翌年の『経済白書』には「もはや戦後ではない」と記された。
産業が大都市に集中するなか、労働力となる庶民の住宅は1961年から1970年までに1000万戸必要と推定された。
そこで、1955年に日本住宅公団が発足。鉄筋コンクリートの集合住宅を大都市とその近郊に多数建設することになった。
◆洋風のモダニズム
木造の集合住宅では共用が多かった台所やトイレ、浴室などは、団地では各戸に設置され、プライバシーが確保された。
台所は丈夫で水に強い新素材、ステンレスを使った流し台の開発でコンパクトなスペースに集約。そこにテーブルのある居間を組み合わせた「ダイニングキッチン」が新しい家族団欒の場として提案された。
アメリカ映画のモダンライフを思う家族が多く、人気の的になった。画期的なアイデアは、ちゃぶ台を使う住宅概念を一新した。
そんな団地の暮らしが『秋刀魚の味』のなかに描かれている。夫婦は夕食にハンバーグとハム玉をつくる。団地族はメニューもモダンな洋食だった。
ハム玉は最近あまり聞かないメニューだが、佐田啓二が卵を溶いていることからハムエッグとちがい、オムレツの中にハムの細切れを入れるレシピと思われる。
小津監督はこの場面で佐田啓二に喋らせたセリフは、「ハム玉子」ではなく「ハム玉」と略していた。和食好きの小津監督が「ハム玉」を常食していたとは考えにくく、シナリオを書くとき、若者にリサーチしたのであろう。
完成した夕食は映画に映らないが、想像で再現してみた。ご飯とみそ汁を付けると栄養価は高く、食べごたえがあった。高度成長時代のサラリーマンを支えた洋風モダニズムのパワーを感じた。
暮らしを支える商店街
『秋刀魚の味』では団地ととも、商店街も庶民の暮らしを支えた要素として描かれた。
ラーメン屋や居酒屋は本作のみならず、他の作品でも登場する小津監督好みのモチーフである。
◆昔ながらの食堂
石川台の希望ヶ丘商店街にある中華そば「大むら」は、メインのラーメンのほかに、カレーやフライ、炒め物もある。昔ながらの大衆食堂のイメージだ。
『秋刀魚の味』の出てくるラーメン屋はセットで作られ架空の店だが、そこに描かれたチャーハンやラーメンを思い浮かべ、チャーハンラーメンセットを注文した。
ラーメンは細くて柔らかいちぢれ麺。スープはあっさりした醤油味。
具材のチャーシューやシナチク、ワカメ、ナルトはどれも柔らかい歯ごたえ。細かく刻まれたネギは控えめで、全体のやさしい旨みを引き立てている。
セットに付く小チャーハンは、高温で炒めたネギと卵の香ばしさが漂う。具材のチャーシューやネギ、ナルト、卵は米粒よりも小さく、食べやすい。
全体の粘性と、パラっとしたドライなタッチの融合が絶妙。あっさりした旨みを奥深い味に仕上げている。
今では貴重になった昔の味を求め、昼時は自転車でやって来る常連客でにぎわっていた。
小津アングルを検証
◆高層化した住宅地
『秋刀魚の味』の撮影は、ほとんど大船スタジオのセットで行われた。数少ないロケは、東急池上線・石川台駅2番線ホームで行われた。
団地に住む佐田啓二を訪ねる岩下志麻が演じる妹と、吉田輝雄が演じる佐田の会社の部下が使う最寄駅として登場する。
石川台駅は1927年に開業。全国的に有名ではないが、シンプルゆえに普遍性があるところが小津監督の狙いと思われる。
ロケに使われたホームは撮影時から比べると、安全柵の設置や看板の移動などのマイナーチェンジが加えられていたが、基本構造は変わらず、面影を残していた。池上線の3両編成も当時のままだ。
しかし、ホーム付近の住宅の高層化で、青空を背景にした映画のショットの再現はできなかった。映画に出てくる低層団地はほとんどなくなり、マンションに建て替えられていた。
◆復興を支えた庶民
終戦直後、外地から帰還した小津監督の前に、焼け野原がどこまでも続いていた。落胆した小津監督は、映画の背景に奈良や京都、鎌倉などの古都を選び、名所や伝統芸能を映し、古き良き日本人の姿を回顧した。
しかし、高度成長時代に入ると、団地や家電を映し、都市型生活のモダニズムを描いた。作風の変化は、驚異的な早さで復興を遂げた日本を喜び、それを支えた庶民を頼もしく思ったからであろう。
石川台の街を歩くと、小津監督が描いた、新しい日本人の姿を感じる。