TRIP TO MOVIE LOCATIONS
UENO・IRIYA,TOKYO
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
JR線 鴬谷駅前 JR LINE UGUISUDANI STATION
東京は上野の下町は、古くから商工業を営む庶民が集まって栄えた土地で、人情もの映画の背景に登場する。
『残菊物語』(溝口健二監督1939年・昭和14年作)は、明治時代の芝居の世界を舞台に、芸道に励む男と、それを支える女の生きざまを描いた物語である。
名門歌舞伎役者一家に出入りする森赫子演じる若い乳母は、花柳章太郎演じる歌舞伎役者の二代目と芸風について語り合う仲になる。ところが、役者の母親は乳母に「生意気なことを。そんなこと奉公人のすることではないよ」と言って、解雇してしまう。心のよりどころを失った役者は、あわてて乳母の実家がある入谷の町をたずねる。
映画は明治時代の入谷の町並みをセットで再現している。長屋の軒先では食材や生活雑貨が売られ、路地には屋台が見え、物売りの掛け声も聞こえる。
明治政府が西洋化を提唱しても、庶民に浸透するまでには時間がかかり、江戸情緒が色濃く残っていた様子が垣間見られる。
今でも入谷から上野駅にかけての路地には、明治の頃と姿は変われど、軒先で商店や工場を営む家が多く見られる。入り組んだ路地に車の往来は少なく、自転車がメインの移動手段で、時間がゆっくり進んでいるようだ。
入谷の洋食屋「キッチンよしむら」のドアを開けると、懐かしい雰囲気が漂う。奥の小さなテレビは大相撲を映し、厨房と仕切りがないカウンターで、主人と常連客が「また、満員札止めだ。近頃、相撲人気が復活してるね」と、話していた。
メンチカツは、カリッと揚がった薄めの衣に、サラリとしたドミグラスソースが馴染んで、ご飯とよく合う。王道の食材どうしの組み合わせは、ありそうで無く、人気メニューになっている。
『駅前旅館』(豊田四郎監督1958年・昭和33年作)は、高度成長時代の上野駅前の旅館を舞台にした喜劇で、森繁久彌がベテラン番頭を演じた。
戦後の復興も一段落して、旅行や喜劇を楽しむ余裕が出てきた時代背景を感じる。
草笛光子演じる旅館の女将は、番頭に向かって「この辺の旅館も商売が楽になったわねえ。指定旅館の看板さえ出しとけば、旅行社や観光屋さんが、団体さんをまわしてくれるんだもん」と語る。
番頭は女将がいなくなると「味がないねえ、味がまったく…。もうこうなれば、宿屋じゃない。旅館という工場だよ」と、ぼやく。
やがて、番頭は女将から「ベテランの番頭がいなくても、やっていけるから」と、退職勧告されると「上野はもっと気楽で、住みよい、あたたかい土地でした。じゃ、奥さん、ごめんなすって」と言って、あっさり退職してしまう。
旅館組合の仲間には「お前たちの宿がさ…、立派になったら注意しろよ」と、言い残し、真心のこもったサービスが生かせる田舎の旅館に活路を求める。
映画の公開から半世紀経つ間、番頭が危惧したように、肥大した旅館は団体旅行のブームが去ると、相次いで廃業していった。
映画に登場する団体旅行客の中には、当時景気が良かった紡績工場の一団も見られる。現在、国内の紡績工場のほとんどは、人件費の安いアジア諸国に移転して、跡地はショッピングセンターやマンションに売却された。
富岡製糸場は、生産が終了しても工場を売却せず、創業した明治の頃の日本人が、世界に追いつこうとした魂を後世に残そうと、地道に設備をメンテナンスして、世界遺産に認定され、観光客が押し寄せるようになった。
「もうすぐ… あそこが広小路です」
芥川比呂志演じる車夫は、人力車にのせた丹阿弥谷津子演じる婦人客に声をかけた。婦人が新坂下(今の鶯谷駅前あたり)から上野公園をぬけて上野広小路まで行くためにひろった人力車の車夫は、偶然にも幼馴染で、身の上話をしながら夜道を歩いてきた。
樋口一葉の短編小説を集めた映画『にごりえ』(今井正監督1953年・昭和28年作)の中から『十三夜』の一場面である。
二人は若い頃、お互い想いをよせていたが、婦人が富豪に見初められて嫁入りしたことから男は自暴自棄になり、繁盛していた商売をたたみ、車夫に成り下がっていた。
婦人の結婚生活も幸せではなく、鶯谷の実家で両親に離婚の意向を相談したら、裕福な一族と縁を切りたくない父親から、辛抱することを懇願された帰り道であった。
二人は十三夜の月が照らす不忍池を見て、人生の矛盾を憂えながら広小路で別れた。
二人が別れた場所は今の京成電鉄上野駅の入り口あたりで、現在、同じ場所から広小路を見渡すとビルが建ち並び、成人映画館や駐輪場がある横丁を通り抜けないと不忍池は見えてこない。
広小路の人と車の往来は、動画を早送りで見るようにあわただしく、月明かりはネオンサインでかすんでいる。物はあふれているけれども、不思議と、印象に残るものは少ない。