Trip To Movie Locations : Fushimi, Kyoto Prefecture
写真・エッセイ/織田城司 Photo & Essay by George Oda
映画監督・小津安二郎ゆかりの地を歩く連載エッセイ。
今回は、京都の酒処、伏見を訪ね、小津監督の日本酒の呑み方をたどります。
1.日本酒好きが高じて
イタリアから来日したワイナリーの蔵人にインタビューすると、皆一様に「日本酒が大好き、日本酒を買って帰りたい、酒蔵を見学したい」という。
外国人から日本酒の魅力を教えてもらうと、日本酒に詳しくない日本人としては、悔しさを感じる。私も日本酒を学んで、粋に呑みたいと思う。
そこで、日本酒通だった映画監督、小津安二郎の呑み方をひも解いた。
小津安二郎監督は日本酒が大好きで、酒を呑む場面を日本映画の味付けにしていた。
晩年は、日本酒好きが高じて、酒蔵を舞台にした映画をつくった。
1961(昭和36)年に公開された『小早川家の秋』である。
酒蔵の設定は、京都の酒処として知られる伏見を選んだ。
小津監督が伏見を選んだ背景のひとつは、東宝での映画制作にあった。
松竹をベースに映画を制作していた小津監督は、前作『秋日和』で東宝の女優、原節子と司葉子を借りたお礼に、 東宝で一本監督することにした。
東宝に敬意を表し、東宝のルーツ、阪急電鉄を念頭に、関西を舞台にした物語を構想した。そこで思いついたのが伏見である。
小津監督と伏見の因果は、1954(昭和29)年にさかのぼる。
この年の11月、小津監督は関西旅行に出かけた。親しい作家の里見弴、脚本家の野田高梧とともに伊勢から関西入りし、大阪、京都と周遊した。
京都では、里見弴と旧知だった伏見の酒蔵「増田徳兵衛商店」の13代目当主が宿を訪ね、一行に自社の銘酒「月の桂」を振る舞った。
「増田徳兵衛商店」は江戸時代初期の1675(延宝3)年に創業。伏見でも老舗の酒蔵である。
12代目当主は文化人と交流があり、「月の桂」は谷崎潤一郎や永井荷風などの作家に親しまれ、里見弴もそのひとりだった。後の世代では水上勉や開口健が賛辞の文を書いている。
『小早川家の秋』の脚本を構想していた小津監督と野田高梧は、12代目のことを思い出すと、一気に筆が進んだという。その人柄は、中村鴈治郎が演じる酒蔵の大旦那のキャラクターに生かされた。
日常の些細な出来事を脚本に生かす、小津監督らしいエピソードである。
2.伏見のロケ地を訪ねて
小津監督は『小早川家の秋』の脚本を1961年の4月に書き終え、撮影準備のために5月26日、伏見の「増田徳兵衛商店」を訪ねた。
そこで見学した建物を、兵庫県の宝塚撮影所のセットで再現して撮影に使った。酒蔵の小道具は「増田徳兵衛商店」から借りて雰囲気を出した。
小林桂樹が酒蔵の場面で身につけている紺の前掛けには、「増田徳兵衛商店」の銘柄「月の桂」のロゴが染め抜かれている。
伏見の「増田徳兵衛商店」を訪ねると、規模は小さく、近代的な大工場というより、昔から地域に根付き、地産地消の酒を供給してきた酒蔵という印象だった。
そんな素朴な風情が、小津監督の好みに合っていたのであろう。家族のドラマの背景としては、丁度いい大きさだ。
現在の建物は、幾度か建て替えられたもので、小津監督が見た部分は少ないが、基本構造やたたずまいに、『小早川家の秋』に出てくる酒蔵の面影を感じた。
「増田徳兵衛商店」の品揃えは、小規模な酒蔵の特性を生かし、特定名称酒に特価した多品種少量の酒造りを進めている。
特に、ワインづくりから影響を受けた、自然との共生や、産地の風土を意識した日本酒づくりがユニークだ。
一般客向けに酒蔵見学と試飲は実施していないが、酒を購入することはできる。事務所で酒のリストを見ながら注文すると、隣の倉庫から持ってきてくれた。
3.増田徳兵衛商店の酒
「月の桂 伏見・旭米 純米酒」
主力銘柄「月の桂」の純米酒。伏見の風土が醸す味にこだわり、酒米は京都産米「旭4号」を伏見の農家と特約して無農薬有機栽培で育てている。
口当たりは淡麗でスムーズ。舌触りはまろやかで、ふくらみがあり、伏見特有の軟水の恵みを感じる。味わいはやや辛口でコクが深く、舌にピリッとくる余韻がある。
「月の桂 京都・祝米 純米大吟醸 にごり酒」
昔の「どぶろく」をイメージして、1966(昭和41)年に独自の製法で開発した「にごり酒」。
醸造学の世界的権威だった東大名誉教授の坂口謹一郎博士から「元祖にごり酒」に認定され、後の「にごり酒」の先駆けになった。
「にごり酒」は白濁を残してもろみを絞り、その原酒を、ろ過して火入れする前に瓶詰めする。瓶内で二次発酵が進むことから微発泡が備わる。
もろみを絞らない「どぶろく」とは製法は異なるが、白濁してドロリとした飲み口は似ている。
「月の桂 京都・祝米 純米大吟醸 にごり酒」は、伏見で特約する農家が無農薬有機栽培で育てた京都産・酒造好適米「祝」を使い、「月の桂」の「にごり酒」の中でも、贅沢で気品にあふれた一本である。
自然本来の微発泡は、炭酸ガス注入製法では得られない、クリーミーな泡立ちがある。香りは洋ナシやヨーグルトのように爽やか。麹の風味が後に続く。
白濁のドロリとした口当たりの中に、爽やかな酸味、ほのかな甘み、米の旨み、ほろ苦さが複雑に現れ、深みがある。喉ごしはボリューム感がありながら、後味はスッキリしている。
白身魚の天ぷらに合わせたり、食前酒に飲むのも良いだろう。
4.小津好みの呑み方
小津監督は、晩酌を欠かさず、自らの飲み方を演技指導に生かした。酒席のシーンを観れば、小津監督の好みがわかる。特に伏見を舞台にした『小早川家の秋』では、円熟の境地を見せた。
◆小津監督が好んだ銘柄
小津監督は地方に行くと地酒を愛飲した。京都・伏見の「月の桂」のほかに、長野県茅野市の山荘にこもって脚本を執筆するときは、地元の「ダイヤ菊」を毎日呑んだ。
北鎌倉の自宅にいる時は、毎日の晩酌のために、入手しやすい定番的な銘柄を愛飲した。
関係者の証言からピックアップできる銘柄は「白雪」や「菊正宗」、「月桂冠」などで、辛口が好みだったと考えられる。
グレードは、昔の格付けだと特級よりも、酔い心地を楽しむために、あえて一級酒や二級酒を選び、熱燗で呑んだ。
◆酒量
小津監督は「サンデー毎日」(昭和37年12月16日号)の記事の中で、晩酌について「三合がいいところだね。それ以上はいけないね」と語っている。
純米酒の三合はそれほど酔わず、多いと思わないが、小津好みの普通酒だと、酔いがまわるであろう。毎晩飲む量と考えると、やはり酒豪の域である。
◆酒器
小津監督が好んだ徳利は、ツルッとした陶磁器の一合徳利である。ほとんどの作品の撮影で使用した。例外は『浮草』の居酒屋に出てくる二合徳利である。
熱燗派の小津監督は、二合徳利だと呑んでいるうちに冷めてくるので、小さな一合徳利を頻繁に温めることを好んだと思われる。
徳利のデザインは白無地か、白地に藍色の模様、いわば浴衣のような色柄を好んだ。どの映画でも、同じ酒器を使い回すことはなかった。選ぶ楽しみもあったのであろう。同じ映画の中でも、料亭や大衆料理屋では、酒器のグレードを使い分けていた。
杯は猪口が多いが、晩年になるにつれ、ぐい呑みも増えた。徳利と杯のデザインをセットで揃えることには執着していなかった。毎晩呑むうちに、徳利と杯の片方が破損することを随分経験したのであろう。
『小早川家の秋』では、浪花千栄子(祇園の旅館の女将)がお酌をする一合徳利は白地に藍色の模様で、それを受ける中村鴈治郎(伏見の酒蔵の大旦那)のぐい呑みは茶系である。それが自然に見え、「こだわらないこだわり」に円熟味を感じた。
小津監督が北鎌倉の自宅で使う酒器は、実用にこだわっていた。「サンデー毎日」(昭和37年12月16日号)に小津監督の記事を書いた記者が訪ねると、晩酌用の徳利は、ほ乳びんのガラスの部分を使っていたそうだ。驚いて理由を尋ねると「目盛りがついているからね」と答えたという。
それに合わせる杯は、エッグスタンドを代用していたそうだ。達観した境地を感じる、おもしろいエピソードだ。
◆酒の支度
小津監督の酒席の場面は、酒の支度から丁寧に描く。酒の支度する人を目で追うのも、酒の味のうちと思っていたのであろう。
『東京物語』の原節子(会社事務員)は、戦死した夫の両親をアパートに招くと、晩酌用の酒が無いことに気づき、隣の部屋の婦人を訪ね「ちょっとお願い、お酒あるかしら?」といって一升瓶と徳利、猪口を借りて来る。
『東京暮色』の山田五十鈴(雀荘の女将)は、おでん屋ののれんをくぐり、カウンターに座ると「一本つけてよ」と注文する。主人は支度して「へい、お待ちどう。ちと、ぬるかったかな」といって徳利を出す。
『浮草』の中村鴈治郎(旅芸人の座長)は、食堂に入ると、開口一番「ごめんやす、一本つけてもらいましょうか」という。同じ映画の京マチ子(旅芸人の役者)は、居酒屋に入ると「おじさん、熱いの一本つけて」という。
『秋日和』の岡田茉莉子(会社事務員)は、寿司屋に入ると同時に「熱いのつけてよ!」と注文する。
無駄なカットのようだが、酒を呑むカットの前に、酒の匂いを感じ、酒を呑むカットがより美味しそうに見える。
『小早川家の秋』の浪花千栄子(祇園の旅館の女将)は、中村鴈治郎(伏見の酒蔵の大旦那)との会話の途中で「一本つけましょうか?」といって、台所で熱燗の支度をしながら会話を続ける。一連の所作を京町家の風情とともに丁寧に描く。
支度の長さは小津映画の中でも屈指である。それゆえ、観客も座敷に上がってリラックスしているような気分になる。
この映画は、小津映画の中でも、特にフランスで人気が高いのは、日本酒とともに、和の情緒をたっぷり感じるからであろう。
日本のどこにでもあった情緒なのに、いまは失われた世界を感じる。
◆酒の肴
生涯独身だった小津監督の晩酌は外食が多かった。酒場よりも和食の専門店を好み、最後はお腹にたまるご飯物などで締めていた。
好みの和食屋は、蕎麦や寿司、うなぎ、天ぷらなどのである。どれも江戸のストリートフードから発祥した料理で、気取りがない。
天ぷら屋では天丼を注文し、天ぷらを肴に日本酒を飲み、後でタレがしみたご飯を食べて締めた。寿司屋ではマグロやハマグリを日本酒に合わせた。
こうした小津監督の肴の好みは、酒席の場面のセリフに生かされた。
『東京暮色』の小料理屋のカウンターに並んだ客は、酒の肴にコノワタとカキを注文する。
『秋日和』の寿司屋のカウンターに並んだ客は、熱燗と一緒にトロやハマグリ、赤貝を注文する。
『秋刀魚の味』の同窓会では、宴席に出たハモの話題が出る。
日本酒の肴に魚介類が多いのは、小津監督の好みであろう。
極め付けは『小早川家の秋』に登場するキャビアである。
浪花千栄子(祇園の旅館の女将)は中村鴈治郎(伏見の酒蔵の大旦那)に、娘がアメリカ人のボーイフレンドからもらったキャビアを紹介し、瓶詰めのフタを開ける。
キャビアの瓶を手にした中村鴈治郎は「これサメ子か?サメにしては粒々えらい小さいな。(箸の先で少量つまんで口に入れ)うまいもんだな」といって笑う。
小津監督が日本酒に合わせる肴は、純和風で押すと思いきや、意外な変化球だ。
小津映画はどれも似たような印象に感じるかもしれないが、手慣れた演出でこなすことなく、自分のスタイルの中で、新しい表現に挑んでいた。
◆小津呑みを再現
試しに、『小早川家の秋』の酒席を再現してみた。「月の桂」の熱燗を茶系のぐい呑みに注ぎ、キャビアと合わせた。
キャビアの粒は口の中でプチッとはじけ、中から出てくる汁は、昆布のような風味があり、まろやかな旨味と塩味を感じる。なるほど、日本酒とよく合う。
伏見を訪ね、小津監督の呑み方をひも解いたけれども、結局キャビアでは、毎日の晩酌には高価で不向きと思いながら、イタリアのワイナリーの蔵人にインタビューしていると、日本酒にイクラを合わせるのが好きだという。
「その手があったか」と思いながら、また、外国人から日本酒の魅力を教わってしまった。