横浜信濃屋の歴史〔5〕
<信濃屋独自の仕入商品>
1972年3月富士子先生と初めての渡欧。
パリ、トリノ、フィレンツエェ、ベネツィア、チューリッヒ等を巡る約3週間の旅。主目的はトリノで開催の婦人物展示会『サミア』での買い付け。紳士物も少しあり、フランス製のダッフルコート、イタリー製のグレイフランネルのスーツ、タキシードを少量仕入れる。
1976年再度イタリーへ。
トリノ、ミラノ、ベネツィア、オーストリア、ドイツにも立ち寄った。ベネツィアからタクシー(モーターボート)でムランに向かい、3丁目(元町)店に新築中の新店舗2階の“オートクチュール”サロン用に高価なシャンデリアや装飾の美しいミラー等を購入。『サミア』では、“シダ(S.I.D.A.)”の紳士服と出合う。この時は前回と比べ、量を大分増やして仕入れた。
その1,2年後、SIDAの社長‘マリオガロー’が自身の名前で新たな工場を立ち上げ、SIDAから引き継ぎ“L.バルベラ”がこの工場を使い“ルチアーノバルベラ”ブランドの服を初めて展開。これはあまり出来が良くなかった。
更に数年後、ハンドを多用するファーノある“セントアンドルース”の工場で製作を開始。今までのイタリーの服らしくない非常にトラシショナルな匂いのするアメリカ人好みのスーツであった。
1986年フィレンツェ“ピッティーイマージネウォモ”へ。
そこから本格的に年2回の紳士仕入れが始まる。L.BARBERAをはじめ、“Brioni”、“KITON”、“St.Andrews”、“Ravazzolo”、“ISAIA”、“BiellaCollezioni”。
90年代になり“Attolini”等の重衣料、“Fray”、“L.Borrelli”、“Burini”のワイシャツ。“Schiatti”、“Salfra”のブルゾン、“Valster”、“Sealup”のコート。“S.Lattauzi”の靴。ネクタイは“L.BARBERA”、“F.Bassi”、“Maximilian”、“StefanBigi”、
“KITON”等、数多くのイタリー製品を直接買い付ける(Zegnaは代理店から)。
以後2008年迄ピッティ参りは続く。