写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
英国紳士の喜劇王チャーリー・チャップリンは1936年に発表した映画「モダン・タイムス」の中で、人間が工場で歯車のように働く機械文明を笑いで風刺した。もうひとつ印象的なシーンはチャップリンがキャバレーのステージで歌って踊る場面で、歌詞を書いたシャツのカフスが踊っている間に袖から外れて飛んでいってしまい、アドリブで歌うシーンだ。
シャツのカフスが踊っただけで外れてしまったのは、当時は袖とカフスをボタンで着脱式にした仕様が多かったからである。汚れや破損が目立つ衿とカフスをメンテナンスするために取り換え式にする仕様は19世紀半ばから主流となり、20世紀半ばの世界大戦の時代に取り換え式の煩雑さから衿とカフスは身頃と一体型の仕様に移行して現在に至る。
袖口開閉部の切り込みは、袖を通す時の着やすさとアイロンをかけやすくするためのもので、切りっぱなし生地のホツレを防ぐために補強布でカバーされている。日本では補強布の形が剣に似ていることから上部の補強布を剣ボロ、下部の補強布を下ボロと呼ぶことが多い。
イタリアのシャツでは下ボロの補強布を使わないで、三つ巻きとよばれ、主に裾などに用いられる仕様を転用したタイプが見られるようになった。伝統服を軽くソフトに仕立てる、いかにもイタリアらしい仕様だ。
この下ボロ三つ巻き仕様は袖をめくり上げた時の多彩な表情に柔軟な対応をすることから今から10年ほど前に日本のシャツにも取り入れることを試みた。ところが、工場の技術責任者はすぐにできないということで難色を示した。
生地をミシンで縫製する時はミシン針の脇におさえ鉄(がね)とよばれる部品を装着する。おさえ鉄は縫製仕様とミシンの相性をいくつかテストしながら選定するので手間がかかる。技術責任者からは「イタリア人は手間ひまかけて縫っているかもしれないが、量産工程ではそのようにはいかない。イタリアに行った時にでも、どのように縫っているか調べてこい」と言われた。
ほどなくイタリアに出張する機会があり、縁のあるシャツ工場に立ち寄ることにした。ミラノから車で約40分程の工場で社長や営業担当者と打合せをして、工場の食堂で一緒に昼食を取った。この日のメニューはトマトソースのニョッキだった。午後から工場内を撮影して日本に帰国後、下ボロ工程の写真を技術責任者に渡すと「うむ、ご苦労」と言ってしばらく眺めていた。
その後は下ボロ三つ巻き仕様のシャツは順調に上がってくるようになった。しばらくして技術責任者に理由を尋ねたら、「君が撮った写真のイタリア人が使っていたミシンのおさえ鉄を調べたら日本製だった」と答えた。
そういえばチャップリンも親日家だった。度々来日してはクラシックホテルに泊まり、日本の伝統芸能を堪能していた。