名画周遊:浅間高原

Trip To Movie Locations : Asama-kogen, Nagano Prefecture
写真・エッセイ/織田城司 Photo & Essay by George Oda

映画ゆかりの地を巡る連載コラム『名画周遊』

今回は、小津映画『秋日和』のロケに使われた浅間高原を訪ね、今日の絵葉書の姿を探訪します。

旅先からの便り

img_0836
北軽井沢

むかしの映画を観ていると、今は少なくなった生活雑貨がときどき出てくる。

絵葉書もそのひとつ。小津安二郎監督『秋日和』(1960年作)に登場する会社員のグループは浅間高原にハイキングに出かけ、山小屋に着くと、絵葉書を書いている。

img_0845
北軽井沢

それから半世紀、旅先からの便りといえば、携帯電話を使うことが主流になり、いつの間にか、絵葉書を使うことは少なくなった。

とはいえ、絵葉書はまだあるはずだ、という漠然とした想いがあり、今の姿を探しにロケ地の浅間高原を訪ねた。

バージョン 2
小浅間山

浅間高原のハイキングの場面に映るのは浅間山と、その脇の小浅間山を背景にした砂利道である。今は道路も舗装され、周辺には軽登山道やゴルフ場が広がる。

軽井沢のショッピングストリートに比べると華やかさはないが、雄大な自然を間近で体感することができ、小津監督の好みが感じられる。

img_1229
小浅間山
r0056468
小浅間山
r0056342
鬼押出し園から浅間山を望む

少し足をのばして、浅間山の山頂に近い「鬼押出し園」にも立ち寄った。

噴火でできた巨大な溶岩群を遊歩道から見物する施設で、荒涼とした奇観は不気味な迫力があり、大自然の脅威を実感する。小一時間でまわれる舗装された遊歩道は程よい散歩コースで、眼下に連峰を見渡す眺望も抜群だ。

img_1182
鬼押出し園

絵葉書は1900(明治33)年から郵便として使用が認可され、戦後のレジャーブームやカラー印刷の発達とともに全盛期を迎えた。

「鬼押出し園」の開業は戦後間もない1951年。今年で65周年を迎え、絵葉書が全盛だった頃のレジャーランドの面影を今に伝えている。

%e9%ac%bc%e6%8a%bc%e5%87%ba%e3%81%97%e5%9c%92
鬼押出し園から浅間山を望む

ところで、映画に出てくる会社員は、どこで絵葉書を買ったのか。自分も絵葉書を送ろうと思い、浅間高原の界隈を探してみたけれど、取り扱う店は見当たらなかった。

小津監督が撮影のために宿泊したホテルも廃業している。このため、麓の中軽井沢駅周辺で探すことにした。

r0056524
中軽井沢駅前
img_1316
中軽井沢の町並み
img_1327
中軽井沢の町並み
r0056494
中軽井沢の町並み
img_1295
中軽井沢の町並み
img_1311
中軽井沢の町並み
img_0904
中軽井沢の町並み
r0056472
中軽井沢駅前から浅間山を望む

駅のまわりには、飲食店は点在するものの、絵葉書がありそうな土産物屋は見当たらなかった。

絵葉書の所在を問い合わせるため、再び駅に戻り、観光案内所に行くと、無料の地図や割引券を置くカウンターの片隅で、絵葉書も販売していた。

img_1816
軽井沢観光協会の絵葉書

案内所では、軽井沢観光協会が発行する絵葉書が数種類あり、バラで選べる。売れ行きを尋ねると、意外や売れているという。

駅前の土産物屋はほとんど廃業してしまい、絵葉書を求める人が駅に集まって来るそうだ。

img_0982

ホテルの小部屋で絵葉書を書こうとすると、本文のスペースはほとんど無く、短い文しか書けない。なおかつ、書き直しもできないことに気が付いた。

このため、いきなり書くわけにいかず、事前に文やレイアウトをよく練らなければならなかった。

r0056302
千ヶ滝郵便局

絵葉書は現地の消印がないと魅力がない。観光に夢中になって、投函を忘れないようにしたい。

車で山道を登る途中、千ヶ滝で郵便局を見つけた。いかにも山奥、という風情が気に入ってここで投函することにした。

r0056312
千ヶ滝郵便局

久しぶりに絵葉書を送ると、普段使わないアナログ思考と、携帯メールの何倍もの手間がかかることを、改めて感じた。

だが、今の通信はあまりにも手軽なので、たまには手間暇かけるのも楽しい。その分、特別感もある。離れて暮らす家族に送ったり、販売促進に使う手もある。友達に送るなら洒落と割り切って、あえて昔ながらの観光写真風の絵葉書を選んで遊ぶのも良い。

img_0999
千ヶ滝郵便局

中山道の手打ち

img_1280
かぎもとや 外観

帰りは、中軽井沢駅前の蕎麦屋で昼食。明治3年から同じ場所で営業している「かぎもとや」である。役場に営業記録が残されているのが明治年間からで、実際には江戸時代からあったそうだ。

たたきに小上がりの店内は、いかにも峠の蕎麦屋といった風情で、浮世絵に出てくる旅人に想いをめぐらせた。

img_0855
かぎもとや 大けんちんざる

ここでは「大けんちんざる(メニューの表記そのまま)」を注文する。どこでも見る天ぷら付きのセットもあるが、けんちん汁のセットは珍しく、信州らしさを感じたからだ。大付きで注文すると、セットの蕎麦が大盛りになる。

出てきたけんちん汁の具は、一般的なけんちん汁のように均等な大きさではない。乱切りの大根と里芋が大部分を占め、その隙間を小さなニンジンとコンニャクが埋め、ときどき、皮をそぐようにスライスされた薄いゴボウが顔を出し、砕け散った木綿豆腐が浮遊する。

img_0854
かぎもとや 大けんちんざる

一見すると、混沌としているようだが、大小の楽器がハーモニーを奏でるオーケストラのように、それぞれの具の役割と調和が活きている。根菜は煮すぎることなく、程よく繊維質が残り、新鮮さと心地良い歯ごたえを感じる。汁にうっすら溶かれた白味噌が具の旨味を引き締め、味噌産地ならではの矜持を感じる。

手打ち蕎麦は、日本橋のど真ん中にある蕎麦屋のように「どうです、機械のように細くて均一に切れているでしょう」と、言おうとは、微塵にも思っていない。平たくて、ふぞろいな蕎麦は、蕎麦の風味が豊かに薫り、絶妙な縦横比で刻まれた海苔や、濃い目の甘辛ツユと良く合う。

img_0868
かぎもとや 大けんちんざる

素朴なメニューだが、荒削りな手仕事による豪快な味には、独自性と存在感があり、長年の工夫と知恵の積み重ねが感じられた。

店内は、昔ながらの味を求める日本人に加え、欧米やアジアから来た観光客も来店して、活気があった。

r0056476
かぎもとや 外観

秋日和を聞く

img_0702
円覚寺

映画『秋日和』の背景を調べていると、同作の朗読公演があることを知り、聞きに行った。読み手は女優の中井貴恵。小津映画に多く出演した男優、佐田啓二の長女で、中井貴一の姉にあたる。

生前の小津監督に孫娘のように可愛がられた縁で、現在は定期的に朗読公演を開き、小津作品の魅力を伝えている。

img_0671-%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc
円覚寺

公演の場所は、一般のホールではなく、小津監督と佐田啓二夫妻が眠る北鎌倉の円覚寺境内の禅道場を使い、小津作品の雰囲気を演出している。

朗読は、中井貴恵が映画に登場する男女7人のセリフを一人で読み分ける難業が聞きどころだ。中でも実の父親、佐田啓二のセリフを読むパートは感慨深い。ラストシーンの原節子のセリフでは、ハンカチを取り出す観客が多く見られた。

img_0586
円覚寺

朗読の前にトークセッションがあり、かつて小津映画を多く手がけた元松竹プロデューサーの山内静夫氏が登壇した。生前の小津監督を知る数少ない人で、朗読公演では脚本の再編集も手がけている。

山内氏は今年91歳。「この歳になっても、若い女性と仕事ができてうれしいね」と語り、中井貴恵が「私も若いと言われてうれしい」と返すと、山内氏は「私より若いという意味ですよ」と付け加え、会場を笑わせた。

img_1721
円覚寺

中井貴恵「小津監督といえば、撮影の時、俳優さんに何度もテストを繰り返すことが語り草になっていますよね。なぜですか?」

山内氏「テストは随分やりました。俳優さんは何度もテストを繰り返しているうちに、どの表情が良いのかわからなくなる。そこが小津先生の狙いだったと思います。無我の境地になった時に良い芝居ができる、そう思っていたのでしょう」

中井貴恵「それにまつわる面白い話があって、小津監督が私にイナイ・イナイ・バアをやってくれて、私が面白がって何度もやってもらっていたら、父は母に、貴恵にあれをやめさせろ、俺が撮影所で監督からしっぺ返しされるから、と言ったそうです」

山内氏「だから、あなたがいけないんだよ」

img_1722
円覚寺

話題が小津監督の映画づくりに及ぶと、山内氏は急に真面目な顔になり、持論を語った。

「映画は、物語の表だけ描いても面白くない。その奥にあるものを描きたい。それが小津先生の物づくりの精神だと思います。表向きは娘の結婚話ばかりですが、実はその裏にある、娘を嫁にやった男の悲しみを描きたかった、と思うのです。ユーモアの裏にペーソスがある。だから映画のどこかに深さがある。

小津先生が本当に描きたかったものは、表面に出て来た絵ではなく、その奥に潜んでいる人間の喜びや悲しみ。私はそこを見て下さい、と言っているのです。

見えない心の中を映すということは、本来有り得ないことです。でも、小津先生はそんな気持ちで映像を作っていたのではないでしょうか。だからセットの茶碗や提灯ひとつにもこだわりがあり、緻密に、丁寧に置いていたのです」

トークを聞いて「なるほど」と思いつつ「ドキッ」とした。映画の表面に映る絵葉書だけを見ては片手落ちなのだ。

だが、その奥に描こうとしたものを明かさなないまま、小津監督は亡くなる。答えの手がかりは無く、想像するしかない、というのが山内氏の見解であった。

img_1755
円覚寺

小津監督は映画の中で、オフィス街や工場、団地など、戦後から復興する都市の姿を多く映していた。一見すると、文明の進化を歓迎しているようだが、その裏で、人々の絆や手仕事が失われていくことを憂いていたのではなかろうか。

半世紀後に携帯電話が通信の主流になることは予測しなかったにせよ、日本古来の繊細な手仕事を忘れてならない、という想いが常にあったと思われる。小道具の絵葉書にも、それが感じられた。

高度情報化社会の今、物づくりはグローバル化が進み、安い労働力と高い品質管理というアドバンテージは、日本から新興国へと移りつつある。

日本の新しいビジネスモデルの模索では、手間暇かけたグレード感が注目され、日本古来の繊細な手仕事が見直されている。

そんなことを考えていたら、また、ふぞろいな蕎麦と、けんちん汁が食べたくなった。

img_1767
円覚寺