エッセイ 赤峰幸生
編集・写真・文/織田城司
I CAN NOT WAIT FOR WINTER COAT
Essay by Yukio Akamine Edit, Photo, Text by George Oda
自然と同化
コートが好きで、毎年、夏が去ると、コートのことで頭がいっぱいになります。そして、まだ、冬がやってこないうちから、コートを着てしまうのです。
コートを着る時期が早いのは、「寒くなった」という体感温度の欲求ではなく、「小さい秋見つけた」と唄う童謡のように、秋の気配を感じると、すぐにコートを着たくなるからです。
その背景には、常に「自然と同化していたい」という想いがありました。
東京の四季
私が子供のころの東京には、四季がありました。生まれ育った目黒のまわりには、まだ田園地帯の面影が残っていたものです。両親は終戦直後の混乱から生活を立て直すことに必死でしたが、私は朝から家の近所で遊びまわっていました。
夏が来て、目黒通りの脇道に広がる畑にトマトが実ると、真っ赤に熟れたものにかぶりつき、秋が来て、柿が朱色になると、知らない人の家に入ってもぎ取り、冬が来て、落ち葉焚きを覚えると、木枯らしが吹く日も燃やすから、火事になりそうになる。
今、こんなガキを見つけたら、絶対に怒るだろう、ということを、さんざんやっていました。でも、そのころの私は、無意識のうちに、四季折々の旬を、五感で楽しんでいたと思うのです。
変わらぬスタイル
樹々の色は、いきなり紅葉になるわけではなく、毎日少しずつ変化していくものです。それに合わせて、コートの色も徐々に変えたいと思っているうちに、増えていきました。文字で書けば、どれも「ベージュ」かもしれませんが、少しでも色目や濃淡が変われば、私にとっては別物なのです。
スコットランドは、国全体がカントリーみたいなものです。そこで暮らす人のために作られたツイード素材は、私が好きな、自然と同化するような色が多く、ネクタイはもちろん、タートルセーターなど、幅広い着こなしに合いそうな素材感も気に入って、コートに愛用しています。
そんな素材を、いつも広い面積で体感していたいと思い、コートの着丈はヒザ下、身幅はたっぷり目のバランスを選んでいます。
世間の流行が何であれ、ミノムシみたいなコートスタイルを50年も続けてきたのは、失われた東京の四季への望郷があったからだと思います。
なんだ、童心への感傷か、と思うかもしれませんが、人は誰しも故郷と原風景があります。その違いがあるから個性がある。物づくりは、作者の個性が活きてこそ面白く、深みが出るのではないでしょうか。