知りすぎた男〔4〕

信濃屋の歴史について〔4〕

他には“アレン・ソリー”のアルパカセーター。“キルスピンディー”のローゲージのセーター、ソックス。“マンロースパン”の衿はカーディガン等、ソックスはアーガイルを得意とする“コックスムーア”、“コーギー”。普段履きにはもってこいの“バイフォード”。ややあらたまった時に履く“パンセレラ”、フランスの“ニナリッチ”、“ジバンシー”など。

多分60年代の終わり頃に、イタリー製でペッカリーを使った靴“ヴィゲンズ”が初めて入荷。すぐ後に英国の“クロケット&ジョーンズ”が入ってきた。但し、ウィングチップの黒と茶の一型のみ。

70年代に入り“フローシャム”、“ジョンストン&マーフィー”、“アレン・エドモンズ”等の米国靴が入荷。同時に英国靴の“チャーチ”も扱う。“チャーチ”では数年間オリジナルで色々作った。

“バーバリー”のコートはもう少し早くから扱っていた。基本的にはシングルバルカラー(G.W.BⅡ)が中心でトレンチも。色は3色(信濃屋で選んだ色)、DK46。今でも人気の代表的な色DK45はグリーン系の玉虫。DK53が茶系の玉虫。裏地のチェックは表地に合わせた色を使っていた。多分今はDK46に使ったもの(ハウスチェック)だけだと思う。因みにG.W.BⅡはGentleman Walking Burberry 2Piecesleeveではないかと思う。色番の前につくD.K.はベルギーの生地メーカー“Drakker”のものだろう。

薄手で軽いポリエステル混の製品もあったが、これは生地番の前にS.T.がついていたので、スイスの“Stoffel”の生地を使用したもの?今考えるとどうでもいい事なのだが、その頃は妙に好奇心が強く何でも追及したが、コートの一方の雄“アクアスキュータム”も70年代になってから扱い始めた。

ストック&ゼノックが代理店で極東のセールスマネージャーだった“ポールベネット(英国人)”が担当。数多くの生地サンプルから好きなものを選び型も自由に決める事が出来たので、「オリジナル」のアクアスキュータムを色々店頭で販売した。

ウール(カシミア、アルパカ、キャメルを含む)のものが大半であった。衿にベルベットを付けたシングルチェスターフィールド、アルパカポロコート、キャメルポロコート、ヘビーウェイトのブリティッシュウォーム、アルスターコート等、勿論、綿のトレンチコートは“バーバリー”と共に定番。

帽子は冬はフェルト、夏はパナマ。“ボルサリーノ(伊)”、“J.B.ステッソン(米)”、“ハーバートジョンソン(英)”、“クリスティーズ(英)”、“ジョセフワード(英)”、“ロック(英)”(戦前は最高級ハット、チェコスロバキアの“フッケル”もあったとか)。

バッグは“タナークロール(英)”。“スゥエインアドニー&ブリック(英)”の“ブリック”は傘も一級品だった。絹張りのものは、今では10数万円する。

“ガイガー”のチロリアンジャケット(オーストリア)。“トーラス”のレザー&ニットのジャケット(スペイン)。“バラクーダ”のG9ゴルフジャケット(英)。

80年代に入りイタリーものが徐々に入荷し始めた。その先陣を切ったのが“ゼニア”(それ以前70年代初めに“シダ”、“マリオガロー”、“L・バルベラ”を少しだけ扱っていた)。“ブリオーニ”、“L・バルベラ”、“タリオサファーニ(St.アンドルス)”、“キートン”、“イザイア”、“ラバッツォーロ”、“ビッラコレッツィオーニ”、“アットリーニ”、“G・カンパーニャ”等の重衣料。

シャツでは“フライ”を筆頭に“L・ボレッリ”、ドレスの“チチェリー”、“ブリーニ”、“アンナマットツォー”、“バルバ”、“ギ・ローバ”等々。

靴は“シルバノ・ラッタンツォー”、ボローニャの“ペロン&ペロン”のハンドメイド。

靴下は“パラディーゾ”、“ソッツィー”。
コートは“バルスター”、“シーラップ”、“ストーム”。

ブルゾンでは革、スェードの“スキャッティー”、“サルフラ(リバーシブル)”、“バルスター”、“エンリコ・マンデリー”等。

ネクタイは“L.バルベラ”、“F.バッシー”、“マキシミリアン”、“ステファノ・ビジ”、“キートン”等々。

*1955年頃から2005年頃迄の約50年間に扱っていた輸入品を憶えている範囲で
書き出してみたが、細かいものや忘れているものを含めると恐らくこれからの
倍くらいはあろうと思います。