名画周遊:人形町界隈

TRIP TO MOVIE LOCATIONS
NIHONBASHI NINGYOCHO,TOKYO

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

「いやだねえ…。もう、この曲の季節かね」

1977年(昭和52年)に放映されたテレビドラマ『あにき』の一場面、人形町の路地裏のおでん屋台で、トランジスタラジオから流れる『ジングルベル』を聞きながら、織元順吉演じる町の有力者が高倉健演じる鳶職人に語ったセリフである。

物語は人形町の繊維問屋の主人が急死して、多額の負債が発覚したところから始まる。借金の保証人になっていた織元順吉ほか町の有力者は所有していた路地の土地売却を立案して、町の世話役をしていた高倉健に住民の立ち退き交渉を依頼するが、かえって反対運動に火がついてしまう。年内に立ち退き問題を解決したかった二人にとって、クリスマスソングは心地良くなかったのである。

高倉健は鳶職として、町民の愛着が残る家を黙々と解体していく。持ち前の不器用さから、かかわりのある女性は次々と去って行く。下町人情話の中で、矛盾と孤独を抱えながらも寡黙に生きる男を高倉健が好演して、それまでの任侠物とはちがう路線を見いだしていた。

ドラマの脚本を担当した倉本聰は、背景を現在の人形町3丁目界隈に設定していた。
モデルとなった路地を調べ、上の写真の場所にたどりついた。

写真の正面のビルは「伊香保湯」という銭湯の跡地で、ドラマの中では「草の湯」として登場する。路地に住む漫画家を演じる滝田ゆうが窓から左手に「草の湯」を眺め、正面に高倉健の住居を眺めていることから、右側の日本家屋の並びが高倉健の住居のモデルになった一角と思われる。

上の写真は同じ路地を反対側から眺めたものである。もともと、この界隈は東京大空襲で奇跡的に焼け残ったことから戦前の古い家屋が多く残り、ドラマもこうした背景を巧みに生かしていた。

今も人形町界隈のビルの谷間には、車の通れない狭い路地や看板建築など、昔の面影がかすかに残っている。

うなぎ 喜代川 Japanese Restaurant kiyokawa

写真を撮りためている間に、ビルに建て替わってしまった商店もある。ドラマと同じく、地主の事情による土地売却はやむを得ないことだが、今日、ビルやマンションを建てたところで、すぐに満室になるとは限らないのだ。

そんなビルに囲まれてひっそりと佇む「喜代川」は、創業1874年(明治7年)のうなぎ屋の老舗で、初代の建物は関東大震災で倒壊するも、昭和初期に新築した建物は空襲で焼け残り、内装に手を加えながら現在まで使用している。

うなぎのタレはあっさり目で、脂ののった素材の旨みをメインにしている。香辛料に使うサンショウは深緑色で香りが強い。江戸前の伝統を今も体感できることは、ありがたいことである。