江戸前の祭り

TAKARADA EBIS FESTIBAL_NIHONBASHI,TOKYO

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

朝晩の空気に、キンモクセイがかおると秋祭りの季節になる。

東京の下町に生まれた映画監督の小津安二郎(1903-1963)は、江戸前、すなわち昔江戸城前、今の皇居正門前から隅田川まで広がる地域をこよなく愛し、映画の中にたびたび登場させていた。

小津監督の昭和三十年(1955年)の日記に、

十月十九日 日本橋べったら市
十月二十日 えびす講

とある。

これは江戸時代から続く伝統行事で、七福神の中で商売繁盛の神、えびす様にお参りをする祭礼と、その前日におそなえをする市のことである。

えびす様は神無月でも出雲に行かずに留守番をするので、それを慰めるための祭りが始まりといわれ、「えびす講」とよばれるようになり、全国各地のえびす様をまつる神社で祭礼が行われるようになった。

現在の地下鉄日比谷線、小伝馬町駅近くの日本橋本町にある宝田恵比寿神社は、かつて江戸城外にあり、慶長十一年(1606年)に、徳川家康の江戸城拡張計画にともない、この地に移転してきた。祭りの規模は大きくないが、江戸前では歴史のある祭りとして知られている。

宝田恵比寿神社際のポスター Poster of the Festibal

宝田恵比寿神社の「えびす講」では、参道の屋台で売られる奉納のための食品や生活雑貨のなかで、この地に発祥して、徳川幕府に納められていた浅漬け大根が人気となり、名物となった。

塩で下漬けした大根を甘酒の麹を入れて漬けた味は甘辛く、麹がべったりついていることから「べったら漬け」とよばれて親しまれ、これを競って売る門前市そのものも「べったら市」とよばれるようになった。門前市だけ見て、大根の収穫祭か漬物の祭りと勘違いして「べったら祭り」とよぶ人もいるが、あくまでも「べったら市」とよぶのが正しく、小津監督も正確に記していた。

浜町にあるべったら漬けの巨大看板 Sign of Bettarazuke

この界隈の首都高速道路の浜町入口付近のビルには、藍色地に白文字で「べったら漬け」と書いた巨大看板が年中掲げてあり、夜はライトアップされ、ひときは目立つ。この地を訪れる人々と、地域の人々に地元の名物を告知し続けている。

小津監督は、日記を記した当時は鎌倉に移り住んでいたが、ニ日間に渡ってこの行事を訪れたところをみると飲み明かしたか、近隣に宿泊したのであろう。この祭りは小津監督の映画には登場しない。ロケ地の下見というより、自分が楽しんだのであろう。いかにも、商人の活気があふれる江戸前好きな小津監督らしい秋日和である。

宝田恵比寿神社参道 Front of the Takarada Ebis Shrine

祭りがはじまると、ビルの谷間に提灯が並ぶ。神社の前には、ひときわ大きな提灯が吊るされる。

宝田恵比寿神社参道 Front of the Takarada Ebis Shrine

遠くに東京駅八重洲口のビルの灯を見る右が宝田恵比寿神社で、奉納の提灯も当代の歌舞伎役者をそろえる。神社の前には、「恵比寿様のお祭りだから、まずは、お参りをしよう」という人々が並ぶ。かたや、近隣企業のサラリーマンとOL団体は、花見のごとく、昼間から場所取りをして、路上で車座になり、ひたすら飲み食いに興じる。

べったら漬けの屋台群 Bettarazuke Stand

参道と交差する通りには、名物べったら漬けの屋台が並び、通りには漬物のにおいがただよう。「縁起ものだし、せっかくだから買って帰ろう」という気になるが、予備知識がないので、どこで買おうかと迷う。こういう時は、接客話術が面白かったとか、縁を大事にして店を選ぶ。

べったら漬け Bettarazuke
べったら漬け Bettarazuke
べったら漬け Bettarazuke
べったら漬け Bettarazuke
べったら漬け Bettarazuke
べったら漬け Bettarazuke
べったら漬け Bettarazuke
べったら漬け Bettarazuke

べったら漬けは、大根を干さずに漬けるので、たくあんほど日持ちはしない。そのかわりに水分が豊富で、大根の繊維には、味のしみた水分をたっぷり含んだ半透明のすじが見える。あえて厚めに切りわけ、小気味よい歯ごたえと、甘辛い味が、口いっぱいにしみ出すのを楽しむ。

焼き鳥 Yakitori

提灯、みこし、おはやし、屋台がくり出すと、いてもたってもいられないのが日本人である。

年に一度のお祭に、子供は夜、屋台をめぐることを許され、若者は一緒にそぞろ歩きをする相手を探し、沿道の商店はここぞとばかりに露店を出し、大人は、これ幸いと大酒を飲む。

いつの間にか、えびす様は忘れられ、それぞれの屋台をめぐった思い出だけが、べったら漬けのように甘く、あるいは辛く記憶に残る。

屋台は焼き物を中心に、縁日でしか見られない懐かしい物や、江戸前ゆかりの老舗が奥深さを加える。

たこ焼き Takoyaki
おでん Oden
酒 Sake
いり豆 Irimame
いり豆 Irimame
七味唐辛子 Shitimi Togarashi

七味唐辛子は、宝田恵比寿神社がこの地に鎮座した頃とほぼ同じ寛永二年(1625年)、隅田川に近い日本橋地区で、やげん堀の創業者が漢方薬の製法を応用して唐辛子に様々な香辛料を調合して作り出した調味料である。蕎麦好きが多い江戸前の土地柄が七味唐辛子を育んで全国に広まった。

七味唐辛子 Shitimi Togarashi

現在の香辛料七種は地域とお店により異なる。やげん堀は上から順に、赤唐辛子、陳皮、青のり、ケシ、サンショウ、麻の実、黒ごまの七種類を使う。

七味唐辛子 Shitimi Togarashi

七味唐辛子の屋台では好みの味を調合してくれる。
いつかどこかのそば屋で味わった「ゆず七味がいいな」と思い、初老の店主にたのむと、「ゆず七味はサンショウのかわりにゆずを入れる。ゆずとサンショウの香りが喧嘩するからね。辛さはどうする?調節できるよ。祭りも今日でおしまいだ。おまけしとくよ」といって調合する。ゆずが強く香るなかで、七味の保存方法を聞くと「湿けると風味がなくなるからね。冷蔵庫の冷凍庫のほうに入れておくと乾燥して、小分けにして使うと香りが長持ちするよ」と教えてくれた。

陶器 Chinaware
陶器 Chinaware
江戸屋 Brushes Edoya

参道の近所にある江戸屋は、七代将軍徳川家継の時代に将軍家お抱えの刷毛師を任じられ、江戸屋の屋号を与えられ、享保3年(1718年)に創業した刷毛専門店である。べったら市のニ日間は大正時代に建てられた社屋の前で露店を出す。

古典遊戯 Game
古典遊戯 Game
古典遊戯 Game
かるめやき Karumeyaki
水飴 Mizuame

べったら市は夜九時に終わる。夜空の下、鉄板の上で、換気扇を使わずに、思いっきり煙をたてて焼かれた食べ物の香ばしいにおいに刺激された人々は、飲み足らなくて横丁の居酒屋やカラオケなどへ流れていく。

終電にむかう人々の歓声が、ビルの谷間の闇に消えると、祭りのニ日間が終わる。

寶田恵比寿神社 Takarada Ebis Shrine

キンモクセイの花が散りはじめた祭りの翌週、ふたたび宝田恵比寿神社の前を通る機会があった。提灯飾りが取り外された神社は、たたみ六畳ぐらいの小さなたたずまいで、ビルの谷間のコインパーキングに両脇をはさまれ、肩身をせまそうにして建っていた。数百という提灯や屋台が、この神社に奉納するために、お祭り騒ぎをしていたことが幻のように感じられた。

寶田恵比寿神社 Takarada Ebis Shrine