横浜近代散策

YOKOHAMA MODERN STREET

写真・文/織田城司 Photo Essay by George Oda

日本新聞博物館 JAPAN NEWSPAPER MUSEUM 

旧横浜市外電話局 昭和4(1929)年竣工

横浜には、近代遺産が多く残り、建物や展示物を通して、往時の人々の創意工夫にふれることができる。

新聞少年の像がたたずむのは、かつての横浜市外電話局や横浜商工奨励館を保全しながら現在に活用した横浜情報文化センターの一角である。

このセンターの中には、「日本新聞博物館」があり、新聞の成り立ちから今日までの歴史を紹介している。

日本新聞博物館内展示パネルより

関東大震災を報じる朝日新聞の記事

戦後間もなく開業した日刊スポーツの創刊号(1946年・昭和21年)

1950年代に報道現場の主力だったアメリカ製のカメラ
1960年代の新聞広告
技術革新とともに報道が進化することを紹介するパネル

豊富な資料で見せる近代から現代までの時間旅行は予想以上に迫力があった。

現在、新聞はデジタル化で大きな変革期をむかえようとしている。いずれ、新聞少年はいなくなるのであろうか。

信濃屋クリスマスパーティー SHINANOYA CHRISTMAS PARTY 

横浜の老舗洋品店、信濃屋のクリスマスパーティーが12月7日(日)、みなとみらいのレストラン「アッティモ」で開催されました。

パーティーに集まった人々は、カントリー音楽の生演奏が披露される会場で談話や記念撮影をしながら親交を深めました。

趣味のカントリー音楽の演奏を披露する信濃屋の白井俊夫氏

開会に先がけて乾杯の挨拶をした赤峰幸生氏は、信濃屋の歴史を紹介されました。それによると、信濃屋は1866年、明治維新よりも2年早く、洋品店として開業。今風の言葉でいえば、インポート・セレクトショップの草分けで、今年で148年目を迎えるそうだ。

新聞の歴史と同じように、日本の近代化とともに歩み、洋装化する日本人の水先案内人として活躍してきたのである。あらためて聞く偉業に会場からは感嘆の声がもれた。

信濃屋の開業から6年後にできた富岡製糸場は今年、世界遺産に登録された。近隣の道路は工場見学に訪れる人々で今でも混雑が続いている。

赤峰氏は挨拶に歴史を盛り込んだ背景に消費者の変化をあげている。最近の消費者の興味は物だけではなく、物の氏素性に対する関心が高くなっているので、服飾関係者も、物のルーツをきちんと把握すべき、と語る。

さらに赤峰氏は、信濃屋の白井俊夫氏から学んだことが多く、美辞麗句ではない、物の本質をきちんと語る接客は、若い人もぜひ参考にしてもらいたい、と続けた。

パーティーの合間、白井氏にお話をうかがう機会があったので、昭和30年代のお店の様子をうかがった。

白井氏談

「小津さん?小津(小津安二郎監督)さんにはよく来店していただきましたよ。ダンヒルのライターを見せてくれと言われ、接客したことがあります。ウチには女優さんたちとよく来て、その後、近所のスナックに行くと言っていました。原さん?原節子さんは来なかったよ。原さんはあまり人前には出なかった。

それで、思い出したけど、当時のダンヒルは1万6千円でね。私の月給と同じ金額だった。でも、自分で使ってみないとお客様に説明できないからちょっと無理して買いましたよ。

そりゃ、そうと君、最近ろくなセーターがないね。やたら高いけど、すぐに毛玉ができちゃう。そういう物は、お客様におすすめできないよね」

世の中がデジタル化しても、真摯な物作りが求められることに変わりがないことを感じた。