VIEW OF PUBLIC BATHHOUSE
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
火山立国日本には古くから入浴の文化があった。風呂付きの住宅が普及するのは近年のことで、それまで庶民が入浴していたのは公衆浴場である。
昔の銭湯では、湯船で見知らぬ男と意気投合して、脱衣所で再び挨拶をしたら、大企業の要人と知って驚くこともあったそうだ。男の真価は肩書きや服ではなく、物腰や振る舞いで問われる、という逸話である。
旅館の温泉に一人でつかっていると、脱衣所が騒がしくなった。ガラリと浴室の扉が開いて、坊主頭のレスラーのような体格の男と、仕事仲間と思われる痩せた男が、幼い子供たちを連れて入ってきた。夕暮れ時の蝉の鳴き声しか聞こえなかった浴室は、突然大騒ぎになった。
出直そうと思ったら、一団は行水程度で出て行った。おそらく宿泊客ではなく、入浴だけの客なのであろう。内心ほっとしていると、坊主頭の男が突然振り返り、「どうも、お騒がせしました」と頭を下げて立ち去った。再び静かになった浴室に蝉の鳴き声が響いた。
子供の頃の銭湯は入浴というより、楽しむ場所だった。のれんをくぐり、桶の響く音が広がると非日常の入り口だった。富士山の壁画はいうまでもなく、籐の脱衣かごや麻縄を束ねたような足ふきマット、重厚な体重計などをひととおり楽しみ、風呂上がりに涼みながら飲む牛乳屋さんのジュースは、重みのあるガラスビンで、手持ち感と冷え具合は格別であった。銭湯の設備はそのあと数段進歩したが、風情は遠い昔のものとなった。
ヨーロッパに行くと、そこそこの値段のホテルでも湯船が付いていないことがある。設備費を節約しているというより、入浴の習慣が少ないからであろう。
入浴ができて、楽しみもある公衆浴場は、日本特有の庶民文化である。