ハヤシライスと福神漬

HAYASHI RICE & FUKUJINZUKE

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

上野精養軒のハヤシライス。ソースというより、牛の角煮に煮汁がまとわりついている風情。よく煮込んで柔らかくなった牛肉がたくさん入っていて驚く。肉汁、野菜、香辛料、赤ワインが凝縮されたソースは、白いお皿にゆっくりと広がり、かためのライスと福神漬との相性は格別である。

食べる物は味わう楽しみはもちろん、そのものが生まれた時代を感じる楽しみもある。

日本の洋食事始めは明治の文明開化で、外国人が持ち込んだ肉食の習慣、とりわけ牛肉を食べることが新しい時代の象徴として受け入れられた。

牛肉を使った料理としてハンバーグ、カツレツ、カレーライスが欧州から伝来し、我が国では、後のすき焼きとなる牛鍋、ハヤシライスなどが独自に開発された。

いずれも日本の食文化に定着して、今でも花形として活躍するが、ハヤシライスを扱う店舗は次第に限定されるようになった。カレーライスの圧倒的な人気に押され、注文する人が減ったためであろう。昭和の時代になり、即席カレーがテレビで宣伝されるようになると、「ハヤシもあるでよ」と補助的な商品として紹介された。

ハヤシライスは現在食べる機会が少なくなってしまったからこそ、文明開化の雰囲気を濃厚に封じ込めていると思えてならない。

ところで、カレーライスやハヤシライスに添えられる福神漬は、西洋の薬味を模して洋食屋などで使われるようになったが、本来は洋食に合わせて開発されたものではなかった。

創業1675年(延宝3年)より漬物一筋の酒悦は、明治期になり、新しい時代の気運とともに、自分たちも新しいことに挑戦しようと、それまで塩漬けしかなかった漬物に醤油を使う事を試みた。七種類の野菜を漬け込むことで福神漬と呼ばれるようになった。なるほど、福神漬を食べていると中から、小さなレンコンや剣のような形の野菜も出て来て、見ていても楽しい。

福神漬は、それまでの日本の漬物にはない濃いめの味が評判となり、これさえあれば、おかずがいらないとも言われた。このため、日清・日露戦争で兵士の携帯食としても採用された。歴史の舞台裏には、新しい時代に挑戦した庶民の創意工夫があったことを忘れてはならない。

昔ながらの洋食屋さんに行くと、文明開化の不安と昂揚の中で前向きに生きた人たちを想い、福神漬がたっぷりのったハヤシライスを、つい注文してしまう。

酒悦上野本店。店内は歴代の看板を掲げ、漬物の象徴である樽を巧みに使い、老舗専門店としての迫力が感じられる。それでも、ひとつひとつの漬物に丁寧な説明書きをつけ、試食もできるなど、気取りがないところが良い。値段も庶民的で、ついつい何品か買ってしまう。