写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
映画の食事のシーンは、作り手のセンスが表れて面白い。
フランス映画「冒険者たち」の中でアラン・ドロンとポール・クローシェがパリの日本料理店で海底に沈む5億フランの財宝をめぐり密談をする場面がある。この時二人が注文していたのはすき焼きである。こんな場面に寿司を使ったのでは、どこにでもあるフジヤマ芸者風情に見えてしまう。ロベール・アンリコ監督のすき焼きの選択は、いかにも食事に執着を持ち、日本通を気取るフランス人らしい。
映画の中で二人が食べていたのは牛肉を使ったすき焼きだが、東京には明治の頃より鳥すき焼一筋に営業をつづけている名店がある。神田須田町にある「ぼたん」である。東京大空襲を奇跡的に逃れた昭和初期の建物は昔の日本家屋の雰囲気を今に伝えるたたずまいで、どこか懐かしく、いかにも老舗らしい風情だ。
座敷に座ってしばらく待つと、丁寧に火起こしされた備長炭を入れた箱火鉢が運ばれてくる。専門の職人が手間ひまかけて仕込む昔ながらの加熱法を継承している。この火鉢の上に鉄鍋を乗せて鳥肉、ネギ、シラタキ、焼き豆腐を入れて割り下で煮る。ガスコンロだと鍋の中がグツグツと煮立つが、炭火だと細かい気泡が音も無く生き物のように隆起しては循環していく。
この火力が割り下の甘辛い味を素材の芯までゆっくり浸透させながら旨味を引きだしていく。中に少しほろ苦い肉があった。レバーである。臭みが抜けていて、口の中でフォアグラのように溶けていくので、とてもレバーとは思えない。脇役の素材はたくさんの種類で驚かすのではなく、鳥肉を引きたてるために最小限に絞られている。中味がしっかりつまってツヤと張りがあるネギ、極細でちぢれたシラタキ、焦げ目のきれいな焼き豆腐などは一目で厳選されたものとわかる。切り分ける大きさや火を通した後の食感なども配慮され、理屈抜きに美味しい。
鍋の中味を食べ終わる頃に丁度炭の火も消えた。和服姿の仲居さんが、「そろそろご飯はいかがですか?」と尋ねる。内心、おかずを全部食べてしまったのに、と思っていたら仲居さんは察したかのように「残った汁をご飯にかけて食べるのが美味しいのですよ。溶き卵の残りをかけても美味しいですよ」とすすめられた。家庭ならともかく、外でご飯に汁をかけて食べるのは行儀が悪いと思っていたが、お店のおすすめであれば堂々といただける。汁との相性を考え、かために炊かれた大粒のツヤツヤしたご飯がまた美味い。一緒にで出て来たお新香のサクサクとした食感との組み合わせも素晴らしい。
思わずご飯を食べ過ぎて、座敷に手をついたりして楽な格好をしていると、デザートが運ばれてきた。この日はメロンだった。予想外の取り合わせに最初は驚いたが、スプーンの手ごたえがないほど柔らかいメロンのたっぷりとした果汁は口の中をさっぱりさせてくれた。
「ぼたん」はすき焼という日常メニューに独自の視点を加えながら長年培った素材選びと料理法で極めている。高級料亭のように気取っているわけではなく、昔の手順を続けているだけなのだ。看板やのれんに掲げる「鳥」一文字に、その想いが感じられ、専門店とはかくあるべしと思われた。
味は無論のこと、古き佳き日本の風情を堪能して、物づくりの勉強もさせていただき、ビールや日本酒を追加しても一人八千円ぐらいしかかからない。今日、スピーカーから低音をガンガン響かせ、黒服の店員がイヤホンマイクで客を誘導する飲食店でも同じくらいの料金が取られるとしたら、「ぼたん」は割安に感じられてならない。フランス人が知らない「おいしい日本」は身近にある。