アメリカの思い出「1970年代」

AKAMINE’S MEMORY OF AMERICA IN 70S

文/赤峰幸生 Essay by Yukio Akamine
写真/織田城司 Photo By George Oda

【 はじめて渡ったアメリカ 】

70年代初期は、アメリカの大量生産品が持つダイナミックな格好よさとトラディショナルな雰囲気にはまっていた。

輸入品を求めて、横浜の「信濃屋」や「ポピー」、タツノオトシゴのマークで有名な「フクゾー洋品店」、御徒町の「ハナカワ」、原宿の「クルーズ」などのお店をめぐっていた。こうしたお店に置いてあったウールのバスケット織りのネクタイなんかは憧れ中の憧れだった。

その後、「マクベス」という会社で働きはじめた。そこがアメリカの専門店と業務提携していたので、輸入品を買い付けるために、はじめてアメリカに渡った。壁にはった地図は、その当時ニューヨークで持ち歩いていたものです。

憧れのアメリカに行った時はうれしくて、仕事の合間に寸暇をおしんで、グランド・セントラル・ステーションやグッゲンハイム美術館、エンパイア・ステート・ビルなど、いろんな所を見てまわった。

エンパイア・ステート・ビルはアールデコのエレベーターが格好よかった。そこの高層階にあった仕入れ先のメーカーで商談していたら、窓の外に降っていた雨を風が巻き上げ、いつの間にか下から上に降っていた。

アルゴンクインというホテルのバーはクラシックな雰囲気が格好よくて、よく通った。ウディ・アレンがクラリネットを演奏しているジャズバーにも通った。とあるバーのカウンターで、ふと隣を見ると、ダスティン・ホフマンが飲んでいた。ちょうど『クレイマー・クレイマー』を撮っていた頃だと思う。

危ない目にも何度かあった。この時代はストライキが多く、JFケネディ空港に夜中着くと、ニューヨークまで行くためのタクシーが動いていなかったので白タクに乗った。

いつもとちがう道を走るから、おかしいなと思っていたら、ブルックリン橋を渡って、人けのない埠頭の倉庫街に連れて行かれた。そこで車から降りた運転手にとび出しナイフを突きつけられ、金めのものは全部盗られて置き去りにされた。

そこから荷物をもってニューヨークまで歩いて、ホテルにたどり着いたら明け方近かった。フロントで強盗にあったことを伝えると、「お前、生きてるじゃねえか。生きてるだけでも、めっけもんだよ」と、言われた。

その当時、ニューヨークで買ってきた服の一部が、この2着です。