MEMORIES OF SUIT
エッセイ/赤峰幸生
編集・写真/織田城司 Essay by Yukio Akamine Edit & Photo by George Oda
新しい事を始めると、最初が印象に残るものです。皆さんは、初めてスーツを着た時のことを憶えていますか?成人式や就職など、様々な動機があったことと思います。私の場合は、遊び着でした。
1965年(昭和40年)、私は専門学校を卒業するとアルバイトをしながら、映画館に入り浸っていました。
当時は、フェデリコ・フェリー二監督の『8 1/2(はっか にぶんのいち)』が日本で初めて公開された頃で、斬新な映像の連続に圧倒されました。何度も観ているうちに、無名の脇役が演じる映画プロデューサーの白いスーツ姿に憧れ「俺も、あんな格好で遊びたい‥」と、思うようになりました。
そのことを友人に話すと、最初は笑われました。この映画では、主人公のマルチェロ・マストロヤンニが着こなすダークスーツに黒ブチ眼鏡というスタイルが圧倒的に格好良く、誰もが憧れていたからです。
それでも、私の白いスーツへの想いは変わりませんでした。やがて、友人も理解を示しはじめ、埼玉県の熊谷にある、価格のこなれたテーラーを紹介してくれました。
私と友人は神田須田町にあった「松矢綿布」で、綿の60番手双糸綾織の白生地を調達すると、上野駅で駅弁を買い、列車で熊谷を目指しました。
テーラーで職人に生地を渡し、スーツのイメージを説明すると、職人はニコリともせず「こんな厚い生地、ミシンが通らなくて困るんだよな」とぼやきました。
しかし、一度請け負ったら、やり遂げるのが昔の職人です。要所に手縫いを入れながら、何とか白いスーツを仕立てくれました。出来上がったスーツを受け取ると有頂天になり、うれしさのお裾分けに、帰りの熊谷駅で、銘菓五家宝(ごかぼう)を土産に買いました。
東京に戻ると、さっそく白いスーツ着て、銀座のみゆき通りに繰り出しました。アメトラ・スタイルの若者であふれる中、ひとりヨーロピアンを気取って悦に入っていました。
それが目に付いたのか、スポーツカーを運転する年上の女性に声をかけられ、帝国ホテルでシャツを仕立ててくれるというので、グリーンのキャンディ・ストライプのクレリックシャツを注文しました。
このシャツのデザインは、ロジェ・バディム監督の映画『スウェーデンの城』に登場するジャン・クロード・ブリアリが着ていたシャツを真似たものでした。
白いスーツは、夏休みに友人と海水浴に行く時も持参しました。三浦半島の秋谷海岸にあった民宿を、ジャン・リュック・ゴダール監督の映画『軽蔑』に出てくるカプリ島の別荘に見たて、映画に登場するミッシェル・ピコリがベージュのスーツを着こなす姿をイメージしながら、白いスーツを着て食事をしたものです。
今にして思えば笑い話ですが、誰かになりきることは、着こなし上手の早道だと思いました。
そのような想いにさせてくれたヨーロッパのスーツは、英国貴族が余暇の略礼服として生み出したもので、ゴルフやハンティングのウエアとして着る時代もあったのです。
アメリカと、その影響を受けた日本では、スーツはビジネスユニフォーム、というイメージが強く感じられますが、本来スーツは、楽しむ時に着る服で、種類も多く、着こなしの幅も広いのです。
最初にスーツを仕立ててから半世紀が経ち、その間に何十着とスーツを仕立て、時代とともに素材やデザインの好みも変わったけれど、「スーツは楽しむ時に着る服」という想いは、最初に白いスーツを仕立てた時から、変わりはないのです。