むかしの紳士服

VINTAGE MENSWEAR

座談会/白井俊夫、赤峰幸生、長谷井孝紀

Discussion by Toshio Shirai, Yukio Akamine, Takanori Hasei

写真・レポート/織田城司  Photo & Report by George Oda

 

日ざしに春らしさを感じるようになった2月末、横浜信濃屋の白井俊夫氏と、テイラーグランドの長谷井孝紀氏が、赤峰幸生氏のオフィスに集まって、長く愛用できる紳士服の物作りを考える座談会が開かれました。

座談会は、赤峰氏が収蔵する紳士服の古本や古着を紐解きながら進められました。

古本に見るスタイル

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1937年に発行されたアメリカの紳士服飾誌「APPAREL ARTS アパレル・アーツ」の誌面
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紳士服飾誌の古本を見る長谷井氏

(長谷井氏)昔の海外の紳士服飾誌がたくさんありますね。

(赤峰氏)好きで、つい買っちゃう。

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服作りの資料を語る赤峰氏
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1937年に発行されたアメリカの紳士服飾誌『APPAREL ARTS アパレル・アーツ』の誌面
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紳士服飾誌の古本を語る白井氏

(白井氏)昔の紳士服飾誌はオジさんがモデルだからいいよね。いい服を着慣れている人が着るから、自然な感じがあって服も良く見えます。

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紳士服飾誌の古本を見る長谷井氏

(長谷井氏)昔の紳士服飾誌を見ていると、今あるスタイルやデザインがほとんど出てますね。

(赤峰氏)おっしゃる通りで、貴族文化をベースにした紳士のドレスアップスタイルは、大戦をはさんだ1930年代と1950年代に一度完成して、今も続いているのです。

1960年以降はモードやカジュアルといった、ストリートのファッションが紳士服市場に影響を与えるようになりました。このため、流行に左右されないドレスアップスタイルで、新しい提案を考えるのであれば、今の紳士服飾誌を見るよりも、1930年代か1950年代の紳士服飾誌を見る方が参考になると思います。

例えば、私が6年ほど前に「アカミネ・ロイヤル・ライン」の注文服用に作ったハンティング・コートは、1954年に発行されたアメリカの紳士服飾誌「GENTRYジェントリー」に載っていたコートを参考にしました。

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1954年に発行されたアメリカの紳士服飾誌「GENTRY ジェントリー」の表紙
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1954年に発行されたアメリカの紳士服飾誌「GENTRY ジェントリー」に見るハンティング・コート
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2010年に赤峰氏が作った「アカミネ・ロイヤル・ライン」のハンティング・コート

(赤峰氏)このコートの元はハンティング用ですが、ディティールに見る程よいスポーツ感が、今の時代の目で見ると、ビジネス用のコートに丁度良いと思って復刻しました。

このコートを着て駅のホームに立っていても、目立つことはありませんが、近くでディティールを見ると、サラリーマン風のコートとは一味違うことがわかると思います。古本を見ていると、偶然、現代服のヒントを発見することがあるので、興味が尽きません。

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「アカミネ・ロイヤル・ライン」ハンティング・コートの衿ホック
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「アカミネ・ロイヤル・ライン」ハンティング・コートの袖口

古着でタイムスリップ

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1940年代に英国で仕立てられたハンティング・ジャケットの古着を試着する赤峰氏
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1940年代に英国で仕立てられたハンティング・ジャケットの裏地
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1940年代に英国で仕立てられたハンティング・ジャケットのポケット
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1940年代に英国で仕立てられたハンティング・ジャケットの袖口。裏の別布は意図的にデザインされたものなのか、生地が足りなくなって代替えしたものなのか不明

(長谷井氏)1930年代や1950年代の紳士服を研究する資料としては、他にどのようなものがありますか?

(赤峰氏)古本の他には、その時代の映画を観る。あとは古着ですね。博物館で見たり、古着屋で手に取ったり、購入したりする。古着に生産年代を表記しているような、コレクター向けのお店が国内外に数件あるので、よく見ています。

若い人から、赤峰さんと同じ時代を生きたわけではないので、昔の話をされても実感が湧きません、と言われることもあるけれど、リアルタイムは人それぞれで、私や白井さんだって1930年代の実感はないのです。

映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ミッドナイト・イン・パリ』は「昔に戻って、いろんな物を見たい」という願望を実現するおとぎ話ですが、現実はそのようにいかないので、資料を紐解いて後追いするのです。

古着には生地作りや仕立てを含めて、いろんな文化が詰まっています。今という時代は歴史の延長線上にあるので、古着を通して歴史を振り返ることは、これから自分が作ろうとする服が、どの辺に位置して、いつまで続きそうなのか見通す役に立つのです。単なるコピーのネタではありません。

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1940年代の「ドーメル」生地を使って赤峰氏が仕立てたスーツ

(赤峰氏)このスーツは10年程前に入手した「ドーメル」のスポーテックスの1940年代デッドストックを使って、自分用に仕立てたものです。

(長谷井氏)今のスポーテックスと違って、随分シャリシャリしてますね。

(赤峰氏)こういうマットでドライなタッチの生地が好きだったのに、柔らかくて光沢がある生地が主流になると、いつの間にか絶滅してしまいました。

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1940年代の「ドーメル」生地
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今は触れる機会が少なくなった昔の生地の風合いを確かめる
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1985年に白井氏が購入して赤峰氏に贈った「タイ・ユア・タイ」のネクタイ
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「タイ・ユア・タイ」のネクタイの思い出を語る白井氏

(白井氏)この「タイ・ユア・タイ」のネクタイは、1985年に初めてフィレンツェのピッティ展に行った時に買って赤峰君に贈ったものです。

あの頃のピッティ展には、日本人はほとんどいませんでした。ラッタンジに、あなたの靴はフィレンツェならどこに置いているの、と訊いたら、今は無くなってしまった「タイ・ユア・タイ」という専門店にある、というから行ったら小さなお店でね。ラッタンジの靴は2足ぐらいしか置いてなかった。見かねたミヌッチ社長がネクタイをすすめてくれました。今は無くなってしまったマクシミリアンというメーカーに作らせたと言ってました。有りそうで無い生地感と渋い色が、今見てもいいね。

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1937年に発行されたアメリカの紳士服飾誌「APPAREL ARTS アパレル・アーツ」に見るネクタイ。大剣の先にステッチが見られる。

(長谷井氏)ネクタイといえば、横浜元町の「ポピー」さんのネクタイに、剣先に芯を入れないでタタいただけの軽めのタイプがあって、私も1本持っています。ネクタイ屋さんから、昔のアメリカに多かった仕様と聞いていましたが、先程見たアメリカの古本に同じ仕様のネクタイが載っていたので、初めて実感が湧きました。赤峰さんも「ポピー」さんのネクタイをお持ちですよね。

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1970年代初期に赤峰氏が購入した元町「ポピー」のウールタイ

(赤峰氏)1960年代はご存知のように、アイビーやみゆき族といった、アメリカン・テイストの紳士服が流行ったけれど、表面をなぞっただけの「もどき」ばかりで、物足りなさを感じていました。

1970年代のはじめ頃になると横浜の元町にあった「信濃屋」さんや「ポピー」さんが、アメリカン・テイストの仕様を薄めないで忠実に再現したオリジナルの国産服を作り始めたので、「こいつはスゲえ」と思って通いました。このネクタイはその頃購入したものです。今見ても良くできてます。

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1930年代の「アクアスキュータム」のウールコートを試着する
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1930年代の「アクアスキュータム」のウールコートを見る

(長谷井氏)この「アクアスキュータム」のコートは、重くて深みのある生地ですね。

(白井氏)織ネームも凝っていて味があるね。

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1930年代の「アクアスキュータム」ウールコートの織りネーム。
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1930年代の「アクアスキュータム」ウールコートの衿裏パーツ
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1930年代の「アクアスキュータム」ウールコートの袖口。生地に複数の色糸が見られる

(赤峰氏)これはロンドンの古着屋で買った1930年代の「アクアスキュータム」のコートです。複数の色糸を編むように織り上げて、深みのある茶色を出しています。なおかつ、二重織りの技法で、生地の片面に格子柄を配置しながら裏地として使用しています。こういう発想と技術は現代の服には無いものです。古着を見ると、失われた技術も見えてくるのです。

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1930年代の「アクアスキュータム」ウールコートの裏地。二重織りの技法で生地の片面に格子柄を配置して裏地として使用している

現代に生かしたい昔の味

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「どうして今は昔のような生地が作れないのですか」ときく長谷井氏

(長谷井氏)古着を見ていると、見たことも無いような生地がたくさんありますね。時間が経つほどに味が出て、今あったら欲しい人もいると思うのですが、どうして作れなくなってしまったのですか?

(赤峰氏)欧米は合理主義だから、生地の生産設備をどんどんハイテク化させ、ゆっくり織らなければ得られない生地の膨らみや自然の伸縮性が失われていったのです。日本も基本的に同じですが、昔の生産設備を大事にメンテナンスしながら、細々と使い続ける産地も残りました。

このような産地は世界的に見ても貴重な存在になって、世界中からデザイナーが注文に来る産地もあります。そのような産地に行って、工場の人に作りたい生地の味を伝えれば、昔風の生地を作ることも、できないことではないのです。

(長谷井氏)そのような産地に行っても、「このような味にして下さい」という元のイメージストックが無いと指図できませんね。

(赤峰氏)そのために、古着を通していろんな味の研究をするのです。

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現代の生産背景を語る赤峰氏
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仕入れの現場を語る白井氏

(白井氏)最近のバイヤーはメーカーの展示会に行っても、ろくに商品を見ないで、いきなり「これいくら?」でしょう。

(赤峰氏)触りもしない。試着もしない。写真撮って帰っちゃう。

(白井氏)そんなことだからメーカーも緩んじゃう。みんな一緒の生地帳から選んで商社に丸投げするから、同じような服ばかりになる。仕立てだって、手縫いを自慢するけれど、手縫いイコール良い服とは限りません。ミシンでも丁寧に縫えばいい味が出るのです。最初に能書きありきでなく、最初に作者が作りたい服の味が見えるかどうかが問題なのです。

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白井氏から譲られたダンヒルのライターを使う長谷井氏

(白井氏)長谷井君が使っているダンヒルのライターは、私が煙草をやめた時に譲ったものです。もとは、1960年に信濃屋で扱っていたものを、自分用に購入したものです。値段は当時1万6000円で、給料一月分に相当する額でした。その頃来店した小津安二郎監督に見せてくれと言われ、ガラスケースから出してお見せしたことを憶えています。小津監督は俳優を連れて横浜のスナックに行く前に、よく「信濃屋」に寄っていただきました。結局ライターは購入されませんでしたが、それと同じモデルです。

(長谷井氏)50年以上使い続けているのに今も普通に使える。一流品なら当たり前なのかもしれないけど、よく考えると、すごいことですよね。買った時は高かったかもしれないけれど、元は十分取れたのでは?

(白井氏)そうだね。

(長谷井氏)今日はいろんな物を見させていただき、貴重な話もおうかがいできて、大変勉強になりました。ありがとうございます。

(赤峰氏)こちらこそ、お越しいただき、ありがとうございました。

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長谷井氏のダンヒルのライターを見る赤峰氏と白井氏
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1960年に白井氏が購入して、現在、長谷井氏が使用するダンヒルのライター

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