すり切れた革ジャンパー

OLD LEATHER JACKET

文/赤峰幸生 Essay by Yukio Akamine
写真/織田城司 Photo by George Oda

服飾業界の後進の指導をする勉強会で「10年以上着込んだ服を持って来て、愛着を語って下さい」と言うと、ほとんどの人から、そのような服は持っていない、と言われる。

私は10年以上着込んだ服を、今でも頻繁に着ることが多い。ベージュのレザージャケットもそのうちのひとつだ。

イタリアで革製品の物作りをはじめてフィレンツエ近郊のレザー工場を訪問した時に、工場長が着ていたレザージャケットをほめたら、その場で「君にあげるよ」と、進呈されたものである。それ以来20数年間愛用して、今でも頻繁に着用している。

このジャケットのデザインは一般的にドライバーズ・ジャケットと呼ばれるもので、オープンカーを運転する時や、テストドライバーなどが着用する服として発達したことがルーツとなる。バイク乗りのためのライダース・ジャケットほどハードな印象ではなく、街着としても違和感がない。

やわらかいヤギの革を裏地なしの一枚革で仕立たもので、表はバックスキンで手触りがよく、裏はなめしてあるからすべりがよく、見た目以上に着心地の良さと軽さがある。革はロールス・ロイスなど高級車の内装に使う革を手がける英国コノリー社のものを使っているので、上位クラスとして品揃えしていた商品であろう。

風を通さないカーディガンのような服なので、夏は海岸でバミューダショーツの上に羽織ったり、冬はコートの中に着てもよく、年間を通して着られる。おまけに丸めてもシワにならず、薄くて軽いので、旅のワードローブの常連なのだ。

頻繁に着ていたら脇が裂けてしまったので、イタリアに行った時、工場に持ち込んで裏張りの修繕をしてもらい、また着ている。

お客様から、そんなに便利な服なら私も欲しい、という問い合わせがあるので、胸ポケットを追加して衿をループ開閉式にしたオリジナルモデルに配色をそろえ、同じイタリアの工場で受注生産をしている。

良い服を長く着ることが、これからの環境問題やライフスタイルによいという見方もあるようだが、私の場合は、最初からそのような殊勝な考えで服を選んだり、着ているわけではなく、着込んだ服の味わいが好きで執着してきた結果なのだ。

人は年齢を重ねると表情に味が出て、着込んだ服を合わせると、より深い見えががりとなる。いい齢をして、ピカピカの一年生みたいに服を着るのは、風貌と服の表情が一致しなくて、どことなく「こっ恥ずかしい」のだ。

洋装のルーツ、ヨーロッパでは、何代も続く貴族は服も継承するので、着込んだ服が由緒ある家柄の証とされ、新調した服を着るのは成り上がり者とされる。本当の貴族の間では「着飾らないのが格好いい」という暗黙の了解があり、あえて悟られないように地味な格好で街中に潜伏する。

遠目から見るとミスター・ビーンのような格好で、近くで見るとボロのある服を着ている人とすれちがうと、思わず「ウム、お主できるな」と、身構えてしまう。

007映画なら、ボンドよりもキュウという地味な武器開発担当職員のほうが、本来の英国紳士像に近いかもしれない。

だから現地で旧知の友人に会う時に、この袖口がボロボロなったレザージャケットを着ていくと「お前、良いの着てるじゃないか」と、言われる。服そのものではなく、服との付き合い方で人となりが見られているのだ。

このような洋装文化が正しく日本に伝わっていないから、日本人は国際舞台で、孫にも衣装とばかりに着飾ってしまい、奇異な目で見られるのであろう。

2011年1月フィレンツエの古着露天商にて In Florence January 2011

私はヨーロッパの諸都市に行っても、有名ブランドが立ち並ぶメインストリートにはほとんど行かない。もっぱら、場末の露店で古着や書画骨董を物色する。現在では再現不能な丁寧な物作りの服に出会うと、思わず心の中で「見っけ!」と、叫んでしまう。

2011年1月フィレンツエの古着露天商にて In Florence January 2011

古着は、研究用の資料として購入するのではなく、あくまでも自分が日常着用するものとして購入している。リサイクルなどという格好いいものではなく、たまたま好きで、わざわざ探しているだけなのだ。

2011年1月フィレンツエの古着露天商にて In Florence January 2011

永年苦楽を共にした服は、気心の知れた相棒みたいなものなので、朝見かけると思わず「お早う」と、声をかける。

「ボロは着てても心は錦」と歌う演歌があるが、私の場合は、「ボロを着ているから心が錦」なのだ。

今の日本では、着込んだ服の味わいと使い勝手の良さがほとんど理解されないまま、相変わらず新しい服を着飾ることばかりが宣伝されている。

服飾業界の若者が「これが流行ですから、これが売れ筋ですから」といって服を説明するのを聞いていると、終戦直後の物資が乏しい時代に生まれた我々世代と、豊かな時代に生まれた世代とでは、物に対する価値観にちがいがあり、すぐに怒ってはいけないと思いながらも、つい苦言を呈してしまう。

後で「また、怒ってしまった」と、終わりのない答えにむかって、自問自答するのである。