MEMORIAL TIE
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
横浜にある、日本最古の洋品店「信濃屋」は、今年で創業150周年を迎えました。
祝賀を兼ねたクリスマスパーティーが12月3日、横浜のみなとみらいにあるレストラン「アッティモ」で開かれました。当日は「信濃屋」顧問、白井俊夫氏の79歳の誕生日にあたり、会場には大勢の関係者が集まりました。
パーティーの中にトークショーがあり、白井氏の魅力を、長年親交のある方々が語りました。
服飾ディレクターの赤峰幸生氏は、「クラシックの道はひとつ。王道のクラシックというものを、日本人として、しっかりやっている。いつもいろいろ教えていただいて、尊敬というより、ありがたい存在だと思っています」と語りました。
「シップス」顧問の鈴木晴生氏は、「人間性、おおらかさ、僕らを包み込んでくれるようなムードがあります。それと、プロフェッショナルとしての技量の深さ、魂を感じます」と、語りました。
来場者には記念品として、男性にはネクタイ、女性にはスカーフがプレゼントされました。
ネクタイは、150周年を記念して作られたアニバーサーリーコレクションのひとつで、白井氏が監修した「信濃屋」ブランドのストライプタイ、3柄各8配色のうちの1色にあたります。
ネクタイに添えられたメッセージカードには、「柄はイギリスを起源としたストライプではなく、あえて左下がりのアメリカ式のリバースにしています。」と、書かれていました。
白井氏が、自らのクラシックとして、魂の源にしているアメリカ式とは、どのような出会いがあったのでしょうか。パーティーの合間にお話をうかがいました。
(白井氏)
「中学生の頃まで朝鮮戦争をやっていましたから、私が育った本牧の町にはアメリカ兵がたくさんいました。
高校生の頃、学校の帰りにバス停でバスを待っていると、アメリカの将校が車を止めて、君たち、途中まで乗って行きなさい、と声をかけるから、恐る恐るフォードの高級車ビュイックの大きな座席に座り、白バイ6台に先導されながら、下町まで送ってもらいました。
そんなこともあり、アメリカ兵はフレンドリーだった印象があります。日本人の愚連隊の方がよほど怖かったね。」
そんな環境で青春時代を過ごした白井氏が、ラジオから毎日流れてくる、アメリカ兵向けのカントリーミュージックに惹かれたのも自然な流れでした。その頃から友人たちとカントリーの演奏を続け、クリスマスパーティーでも毎年披露しています。
(白井氏)
「カントリーなら、歌詞カードがあれば、今でも100曲ぐらい歌えますよ。逆に、ビートルズのことは、よく知らないんだ。」
白井氏のお気に入りのカントリーミュージシャンは、ハンク・ウイリアムズ。庶民の喜怒哀楽を軽快に歌い、明るさの中に、どこか悲しみがある作風は、戦後の混乱期の若者の心をとらえ、多くのミュージシャンに影響を与えました。世代によっては、カーペンターズがカバーした『ジャンバラヤ』で馴染みがある人も多いのではないでしょうか。
ハンク・ウイリアムズは1953(昭和28)年に29歳の若さで亡くなります。白井氏が青春時代に、リアルタイムで熱狂したヒーローでした。
白井氏は今年、長年自分を楽しませてくれたハンク・ウイリアムズに感謝して、カバーアルバムを自主制作しました。いつもの演奏仲間と作ったスタジオ録音版で、お気に入りの10曲が収録され、ヴォーカルとサイドギターを担当しています(非売品)
アルバムのタイトルは『ハンク・ウイリアムズ・ビーツ・マイ・ソウル・オールウェイズ』。白井氏がアルバイトとして「信濃屋」に出入りを始めた1955(昭和30)年から、現在までの61年間、紳士服の仕事を極める一方、いつも心でハンク・ウイリアムズを聞いていたことがわかります。ネクタイのアメリカ式にも、そんな想いが感じられました。
自分が79歳になった時に、何をやっているのか。そんなことを考える機会は、なかなか無いのですが、白井氏の豊かな心と前向きな行動は、人々のお手本になり、惹きつけるのだな、と感じました。
来年もまた、元気にカントリーを歌っていただきたい、と思いました。