Trip To Movie Locations : Ajiki, Chiba Prefecture
写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda
映画ゆかりの地を歩く連載コラム『名画周遊』
今回は、小津安二郎監督が昭和初期にロケで使った千葉県の小さな駅「安食(あじき)」を訪ね、昔の日本の面影をめぐります。
巨匠が選んだ駅
小津監督のロケ地を調べているうちに、千葉県の安食駅を撮影に使ったことを知った。
巨匠と小さな駅の接点に興味がわき、現地を訪ねた。ところが、簡素な駅に特徴はなく、ロケ地に選んだ理由はわからなかった。
安食駅が使われた映画は1934(昭和9)年作の『浮草物語』。旅役者の一座が夜汽車からホームに降りる場面で、ほんの数秒だ。しかも、夜のため背景は真っ暗である。
一座が着いた町は劇中では明らかにされていないので、どこの駅で撮影しても良いのだが、東京の近くでも撮影できそうなカットであった。
小津監督は安食駅をロケ地に選ぶまで、約一ヶ月かけて千葉や茨城の駅を下見している。撮影当日は蒲田の撮影所から俳優やスタッフとともに車に便乗して安食駅を訪ねている。大移動は高速道路が無かった時代のため、片道3時間半かかる強行軍であった。
そこまでエネルギーを使うからには、ロケ地に対してそれなりの想いがあったはずだが、詳しい記録は残っていない。このため、謎の手がかりがを求めて、町を散策することにした。
利根川の天然うなぎ
安食は利根川に近い水郷の町で、古くから水運の要所と大鷲神社の門前町として栄えた。
だが、交通の発達は立地条件に変化をもたらす。明治以降、鉄道と自動車の登場で移動がスピード化すると、安食は要所から通過点へと変わる。かつてのメインストリート、安食交差点付近の旅館や商家は閉じられ、今は人影もまばらだ。
閑散とした街道のなかで、車が頻繁に出入りして、混雑するお店がある。利根川の天然うなぎを使ったうなぎ屋「さかた」である。
道路脇には「本日営業します」と書いた看板が立っている。天然物へのこだわりから、材料が調達できない日は休むのであろう。売らないで得る信頼もあるのだ。
天然のうなぎは初めてなので、どんなものかと思っていると、うなぎとご飯が二段のお重に分かれて出てきた。一般的なうな重の慣れから、うなぎを丸ごとご飯にのせて食べてみた。
うなぎは全体的に柔らかいわけではなく、パリッと焼きあがった皮と、口の中ですぐにとろける身の対比が豊かな食感を生み出している。味わいは深く、泥臭さは無い。砂糖を使わないタレが、それを上手く引き立てている。ご飯にのせると箸で切り分けにくい部分もあるので、次回はお重を別にして食べたいと思った。
単に日本製と表示しただけのうなぎとは、明らかに味がちがう。そんな「わかりやすさ」が、わざわざ遠くからお客さんがやって来る背景と思われた。
昔の日本を体験
「房総のむら」は、安食駅からバスで10分ほどの立地にある博物館。
開業は1986(昭和61)年で、テーマは「参加体験型博物館」。展示だけでなく、来館者が房総に古くから伝わるものづくりや生活文化の体験を通して、歴史への理解を深めることを目的としている。
展示は、本物の遺跡や歴史建造物にレプリカの古民家を加えて構成されている。建物の周囲は昔のままの里山で、自然に親しみながら散策することもできる。
レプリカの古民家は、どれも房総に古くから伝わる建築様式を再現することでこだわりを見せている。建築は昔の技法をほぼ忠実に再現しているので経年変化の味がリアルだ。
ロケの誘致にも積極的で要所に電線はなく、撮影の予約が入れば、雨どいや放送設備をすぐに撤去できる本格仕様になっている。『とと姉ちゃん』をはじめ、歴史物のドラマや映画で多数撮影実績がある。現代物ではレトロ可愛さのスパイスとしてアイドルのプロモーションビデオやコマーシャルに応用されている。
こうした環境が生み出す昔の日本の臨場感は、子供には新鮮で親には懐かしく、親が自分の言葉で子供に歴史を伝える場になっている。買い物からコトに興味が広がる外国人観光客からも注目だ。
来館者が多く集まっていたのは農家であった。なかでも、ひときわ大きい「上総の農家」が人気だ。お父さんは主屋の畳の上で大の字になり、お母さんは子供にお手玉を教えている。
広くて天井の高い空間は都会でもたくさんあるが、和室の大広間は貴重な存在だ。旅館とちがい、何も置かれていないから広さが際立つ。たいていの子供は走ったのちに転げ回っている。
庭先では、竹馬に人だかりができていた。
居合わせたアメリカ人女性3人組は、竹馬の予備知識が無いにもかかわらず、日本人の男の子が悪戦苦闘しているのを見て、乗り物らしいことがわかると積極的に挑戦を始めた。なかなか上手く乗れないけれど興がのり、ロングスカートをたくし上げ、白い太ももをあらわにして、キャーキャー騒ぎながらスマフォで写真を撮り合っている。
その様子を見ていた男の子のおじいさんとおばあさんは、アメリカ占領下の辛い幼少時代が蘇ったのか暗い表情だ。ふと、我に返ったおばあさんは、おじいさんに「アンタ、何見てるの。早く孫に竹馬教えなさいよ」と促した。
おじいさんは「俺、もう竹馬の乗り方忘れちまったんだけどな」と文句を言いながら、孫に竹馬ではなく、簡単なぽっくり下駄を勧めるけれど、孫はどうしも竹馬に乗ると言い張る。
すると、それまで黙っていた孫のお母さんは、「私、むかし竹馬得意だったんだ‥」とつぶやくと、突然竹馬に飛び乗り、見事な足さばきで、ツカツカと庭の真ん中に躍り出た。
思わぬ模範演技に庭中の人々がどよめき、拍手喝采が起きる。おじいさんとおばあさんは日本人の面目が立ったことに安堵し、孫は母親を見る目が変わった。
昭和初期の安食駅周辺は、東京では見ることが少なくなった茅葺き屋根の農家がたくさん残っていたはずだ。レプリカではない、本物の房総の村である。
小津監督がロケ地に選んだ理由は、駅の撮影とともに、遠足を楽しみたかったのであろう。そんな想いを体感した。