歴史とは何か

文/赤峰幸生 Essay by Yukio Akamine

先の見えない現代、何を礎に考えるべきか思い悩む毎日が続いている。2011年も間もなく終わりこの1年を振り返ってみても解決の糸口は一向に見つからない。こういう時こそもう一度基本に立ち戻って1962年に伯父(清水幾太郎)の訳したE.H.カーの「歴史とは何か」を読み返してみた。

私も仕事柄ヴィンテージ、アンティークな歴史服には強い興味を抱き、服を通した時代毎の政治や戦争、文化等を紐解きながらその時代が生んだ服を学んできた。

本書の中で英国の歴史家アクトンは、‘魚が魚屋の店先で手に入るように、歴史家にとっては、事実は文書や碑文などのうちで手に入れることが出来るわけです。歴史家は事実を集め、これを家へ持って帰り、これを調理して、自分の好きなスタイルで食卓に出すのです。アクトンは料理については趣味が渋かったので、事実にアッサリした味をつけようとしました。’とあります。

この文章を読んだ時、私は世界各地を回り、服の事実を集め自分の好みの料理であるサッパリ系のクラシック料理をしている事に気づかされた。様々な迷路に迷い込んだら、原点に立ち戻る私にとっての原点とは英国産業革命直後の工業製品と手仕事。どんなに革新化してもあの時代を超越出来る物はなく、素晴らしき物が遺産として多数残っている。しかしながら未来を過去に戻すことは不可能な事は重々理解しているつもりだ。大切と思うのは、手間とひまをかけた工業品を忘れてはならない事実。これが私の受けとめる『服の歴史とは何か』の答えだと思う。