名画周遊:大和

TRIP TO MOVIE LOCATIONS
YAMATO,NARA PREFECTURE

写真・文/織田城司 Photo & Essay by George Oda

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博物館で古代の出土品を見ると、農耕が日本人の生活の根源にあったことを、あらためて感じる。

農耕といえば、麦の収穫期は初夏で、そのことを表す「麦秋」(ばくしゅう)という言葉は、秋の漢字がありながら夏の季語になる。

戦後間もなく、映画監督小津安二郎は『麦秋』をタイトルにした映画を作った。映画の中では、奈良の大和で暮らす老夫婦が、家の前に広がる麦畑をながめて、幸せな一生だったと語り合う場面が印象深い。

このとき、画面いっぱいに広がる麦畑は、戦後から復興する日本人の原点回帰を象徴するように見える。小津監督が想いを託した麦畑をさがしに初夏の大和を訪ね、戦後70年の歳月をめぐった。

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奈良ホテル NARA HOTEL

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IMG_3234大和への足がかりに、奈良ホテルへ立ち寄る。奈良ホテルは、日露戦争後に増える外国人観光客をもてなすために、1909年(明治42年)に創業した。外国人が異国情調を感じるようにと、和を取り入れた建築様式が随所に見られる。

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エントランス
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エントランス

創業当時は国営で、鉄道院の管轄下にあった。宿泊客も皇族や国賓などに限られ、迎賓館の役割を担い、設備には辰野金吾など、当代一流といわれた建築家や職人が使われた。

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エントランス
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エントランス
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ホテルの歴史を紹介するコーナーにあるチャップリンが1932年に宿泊した時の写真
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ホテルの歴史を紹介するコーナーにある昔の和洋折衷テーブルアイテム
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廊下のスチーム暖房機
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宴会場「菊の間」の窓
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ロビー
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ロビー
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ロビーのピアノ

ロビーのピアノは、創業当時アメリカのハリントン社に別注したもので、鉄道院を象徴する車輪の彫刻がほどこされている。かつてホテルを訪れる国賓たちは、食後のひととき、葉巻をくゆらせながら、このピアノの即興演奏を楽しんだのであろう。1922年に宿泊した物理学者、アインシュタインもその一人であった。

終戦を迎え、ホテルがアメリカ軍に接収されることを聞いた関係者は、あわててホテルの貴重品を大阪鉄道管理局の庁舎に移し、このピアノも運び込まれた。やがて、国家が再編される過程で関係者は散り散りになり、ピアノの所在もホテルに知らされないままになった。

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ロビーのピアノの足に見られる車輪の彫刻

1992年に大阪鉄道管理局の庁舎が取り壊されることになり、倉庫の整理していると車輪の彫刻がついたピアノが出てきたので、珍しいデザインから大阪の交通博物館に移された。その後、近年になってアインシュタインが奈良ホテルのロビーでピアノを弾く写真が発見されると、車輪の彫刻が決め手となり、交通博物館にあるピアノは奈良ホテルのものと判明する。数奇な運命たどったピアノは2009年、時代を越えた関係者の努力で、かつてアインシュタインが弾いた奈良ホテルのロビーに里帰りした。

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ティーラウンジ
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ティーラウンジ
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ティーラウンジ

新緑の庭園を見渡すティーラウンジのミックスサンドウイッチは、厚切りのビーフとハム、トマトを、きめ細いパンと、香り高い濃厚なバターではさんだもので、それぞれの旨味が、したたり落ちそうなやわらかい食感の中で調和する。

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メインダイニングルームの入り口
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メインダイニングルームの入口
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メインダイニングルーム

天井が高いメインダイニングルームの朝食に選んだ和定食のおかずには、鮭、玉子焼き、煮物、ひじき、ごまどうふ、お新香、奈良漬けがつく。奇をてらわない定番的メニューだが、どれも素材の旨味が生きていて味わい深い。

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今井町の町並み IMAI CHOR0045929 - バージョン 2 IMG_3567 - バージョン 2 IMG_3413 IMG_3572 - バージョン 2奈良盆地の中央、大和の平地を車で走っていると、田園風景の中に、今井の町が忽然と現れる。もとは、戦国時代の城塞が起源とされ、江戸時代になると商業の町として栄えた。

明治以降、商業は衰退したが、町民の大半は町並みを江戸時代の姿のまま使い続けてきた。そのことは、今の日本では貴重な存在となり、町は重要伝統的建物群保存地区に選定された。重要文化財が8件もある町はここしかなく、いかに町全体が古いままかがわかる。

近年は、よりリアルに江戸の町並みを再現して観光地化を推進するため、電線を地中に埋めるなど、失われた景観をもどす工事が徐々に行われている。
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IMG_3386 - バージョン 2 今井路地1 IMG_3498 IMG_3581 - バージョン 2 IMG_3400

旧米谷家住宅  OLD KOMETANI RESIDENCE

R0046009 - バージョン 2今井町の中でもひときわ大きな構えの旧米谷家住宅は18世紀初期の建築とされ、代々金物商を営んでいたの町屋の跡地で、現在は見学用に解放されている。

中庭の蔵前屋敷や、土間のかまどは、使用人が多かった豪商のたたずまいを今に伝えている。

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中庭の蔵前屋敷
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主屋の一階
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主屋の土間
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主屋の土間
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主屋の土間

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今井まちや館  IMAI MACHIYA-KANIMG_3457IMG_3460 - バージョン 2

IMG_3455 - バージョン 2今井まちや館は、長年空き家で破損が目立つようになった町屋を見学施設兼観光案内所として再生したものである。

もとの建物は18世紀初期のもので、一家と丁稚の小僧が二人ほど住める間取りで、町屋としては平均的な大きさになる。建物の由来は、商人に貸し出していた借家だそうで、今でいう賃貸オフィスにあたる。

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江戸初期発祥の仕様で、かまどの原形にあたる一口かまど
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かまどの上にある煙出しとよばれる排煙口

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建物の表情 DETAILS

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むしこ窓と紋のついた二階の壁

今井まちや館で観光案内をしていた老婦人に、土間にある留めかぎのついた道具の由来を聞くと、「これを知らないとは、お若いな。こりゃ秤(はかり)じゃよ」と、いわれた。この他にも、建物の意匠の由来について、いくつかうかがった。

町屋のデザインは、町の掟によって統一されていたが、二階のむしこ窓など、デザインの細部は定義されていなかったので、人々は思い思いのデザインを施して個性の表現を楽しんだそうだ。中には窓の真ん中に錫杖(しゃくじょう)飾りとよばれる模様をオプションで付ける例も見られる。

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むしこ窓
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錫杖飾り付きのむしこ窓
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錫杖飾り付きのむしこ窓 屋根には煙出しが見られる
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瓦に見られる水玉と火の玉の図案

屋根瓦には、防火の願いを込めて、水玉が火の玉を囲んで封じ込めてる様子を図案化したデザインが使われている。

家紋ではなく、この地の屋根瓦の既製品に代々使われている図案だそうで、ほとんどの家にはこの図案の屋根瓦が使われ、町の特徴になっている。瓦が作られた年代によって、水玉と火の玉のシェイプやレイアウトバランスが微妙に異なり、時代考証の手がかりとしても使われるそうだ。

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駒つなぎ

町屋の軒下に見られる花形の金具は、駒つなぎとよばれるもので、江戸時代に、移動や運搬に使う牛や馬をつなぎとめておくために付けられたものである。

地面から1mほどの高さの駒つなぎは牛用で、牛は角が危ないから頭を持ち上げるようにつなぎ、地面から50㎝ほどの高さの駒つなぎは馬用で、馬は頭を下げておくとおとなしくなることから、低めに設置していた。豪商は見栄から大きな駒つなぎを好んで付けたそうだ。

今でも駒つなぎは江戸の頃とかわらず、町屋の軒下で牛や馬が来るのを待っている。

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町屋茶屋 古伊 CAFE RESTAURANT FURUI

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今井町にある町屋茶屋古伊の屋号は、元禄年間の初代古服屋伊兵衛の名に由来する。当時は古着の再生を生業にしていたが、時代とともに商売替えをして、現在は飲食店を営んでいる。町屋の建物は18世紀に建てたものを代々継承して、商売によって手を加えながら利用しているそうだ。

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柿の葉ずし

昼食にと、きつねうどんと柿の葉ずしのセットを注文する。柿の葉ずしは、冷蔵設備のなかった江戸末期に、海から遠い山里に運ばれてくる海産物を貴重なタンパク源として、殺菌効果がある柿の葉でくるんで日持ちをよくしたことが起源となり、郷土料理として定着した。

この日の柿の葉ずしのネタはサバ。脂っこさや塩分は控えめで、さっぱりした味わいだ。できたてなのか、駅弁よりも、やわらかい口あたりであった。

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柿の葉ずし

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耳成山 MIMINASHIYAMAR0045709 - バージョン 3

小津監督が『麦秋』の麦畑の背景に選んだのは、奈良盆地の南に位置する耳成山という小さな山である。山の裾にギザギザがなく、丸みがあることから、万葉の昔から「みみなし」山とよばれて親しまれ、文人墨客に描かれてきた。

小津監督がこの山を選んだ理由は定かではないが、なだらかな曲線に、古代絵巻に見るような、日本的な美を見いだしていたのかもしれない。

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耳成山のまわりをめぐってみたが、広大な麦畑はなかった。麦が一本もないわけではないが、映画のように、果てしなく続く麦畑のなかに、ぽっかり耳成山がうかぶ景色の再現にはならなかった。現在、耳成山のまわりには住宅地が広がり、農地はわずかになっている。

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畝傍山の頂上から見た耳成山

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山口神社  YAMAGUCHI  SHRINEIMG_3229 - バージョン 2

耳成山をはじめとする大和の山々には、古くからこの地の神々が鎮まる場所として神聖視され、藤原京など、皇宮を建てる時には、立地の重要な条件とされた。

耳成山の8合目にある山口神社は、こうした神々を祀るために創建された。

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木漏れ日がさしこむ参道を登って山口神社に着くと、境内には、ほとんど人の気配はなかった。歴史遺産の保存にも、光と陰があるようだ。

山口神社の参道を下り、帰路につくと、耳成山が車窓の彼方に消えてゆく。太古の昔から都の栄枯盛衰を見てきた耳成山は、麦畑が無くなり、神社が風化しても、気にしていないように見えた。

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